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何かを好きになるということ
皆さん、こんにちは! 居宅支援ひろばの松村です!
ちょうど1年前くらい前、叙述トリックという手法を使った本を読むのにハマりました!とブログに書いたのですが、飽きやすい私にしては珍しく、まだ継続中です。 色々読んだ結果、「自分は叙述トリックを含む、推理小説というジャンルが好きなんだ!」と気づいたので、それから現在に至るまで、推理小説(ミステリ)と呼ばれる本をひたすら読む日々が続いています。
しかし、何かに本格的にハマったとき、私にはいつも陥る苦しみがあるのです。 最初は純粋な気持ちで「面白いな〜」と思って楽しむことが出来るのですが、次第に義務感というのでしょうか? そのような気持ちが生まれてくるのです。
長年趣味と自称している音楽鑑賞に関しては、 「あぁ、このバンドはあのミュージシャンに影響を受けているんだ...その人も聴かなきゃ...」 「あぁ、このアルバムって3部作だったんだ...あと2作品も聴かなきゃ...」 「あぁ、口コミによると、このバンドってCDだと魅力が半分も伝わらないライブバンドなんだ...ライブ行かなきゃ...」 と、このような強迫観念が生まれてくるのです。
音楽鑑賞は趣味と自覚してから10年以上経ち、今ではそのような邪念がほぼ無くなり、ようやく純粋な気持ちで楽しめるようになったと思っているのですが、ここにきて今度はミステリがその対象となってしまいました。
「あぁ、国内作品ばかりじゃなくて、海外の著名な作家の作品も読まなきゃ...」と思えば、本当は東野圭吾が読みたいときでも無理して海外の翻訳本を読んだり、「あぁ、自分で勝手に決めたペースだけど、明後日までにこの本を読み終わらなきゃ...」と思えば、年に一度の家族旅行に文庫本をこっそり持って行き、わざわざ明け方にこっそり起きて読んだり、とにかく大変な状態になってしまいました。
さすがに「これは良くない」と思って自分で自分が心配だったのですが、この前の年末年始に本を読む暇が全く無く、その間しばらく読書から遠ざかることによって、ようやく憑き物が落ちたように、自分自身を取り戻すことが出来たような気がします。
これまで、本来は楽しい時間を過ごしてリフレッシュをするための趣味に対し、たくさんの時間、お金、体力を、ときに苦痛を伴いながら使ってきてしまいましたが、これがお金のかかりそうな“車”とか“オーディオ”とか“絵画”とか“壺”などではなく、“音楽鑑賞”と“読書”という、やりようによってはブックオフ一つでまかなえるお金のかからない趣味だったことが、まだ救いだなと思いました。
居宅支援ひろば 松村
日時 2017年02月10日 00:40 |
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