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2016/6/7  北海道で行方不明になっていた少年が見つかり、無事退院したというニュースを受けて、安堵の気持ちと同時に「しつけ」について考えてみたいとおもいました。

 子育てにかかわる仕事をしていると、「しつけは必要でしょ」「どうすればうまくしつけられますか」の質問が多く、「しつけ」は善ととらえられていることによく遭遇します。日本社会では「しつけをちゃんとしている親の子育て」が評価される傾向があります。

 大学の授業で、しつけと称して、置き去りに去られたことがあるかを質問したら、数人が手を挙げました。ベランダに掘り出された、玄関から外に出されたなどで、さすがに車で置き去りはありませんでした。しかし、親から叩かれた学生は半数を超えます。

 そこで、「しつけ」とは「大人の特権を使った力で子どもを押さえつける方法」と定義しました。子どもを力で支配しようとする親は少なくありません。

 しかし、力では子どもは育ちません。反発力が強まり、自己肯定感も少なく思春期や青年期を過ごすことになります。暴力でしか気持ちを表すことができなくなってしまった子どもの姿に、慌てて相談に来られる保護者が立て続いています。

 「しつけ」のためなら何をやっても言わけではありません。少なくとも、親の思い通りに子どもが育っていないときや子育てに困った時は、必ず何かの理由があるということを知ってほしい。

 もしも叩いてしまたときや置き去りにしたときは、子どもに謝ったり反省するより、「なぜそんなことをしたんだろうか」と子どもの気持ちになって考えてほしいのです。子どもに尋ねるのではなく、大人が考えることに意味があると思います。

 なぜなら、次に同じ間違いをしないためです。子どもの行動には必ず良いことでもダメなことでも理由があります。実は大人も同じ。叩いてしまうには理由があります。仕事が忙しいとか、経済的には厳しいとか、夫婦がうまくいってないとか?ソノギセイニコドモハナリタクナイデス!(いけぞえもと)


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