編集長の毒吐録
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☆2020/6/3更新☆

1997年5月3日の「憲法記念日」に、僕らは<憲法施行50年記念ビーッグフォーラム 「ひねくれ」と「がん」 至芸対決>と銘打った集会を、京都会館第1ホールで持ちました。マルセ太郎(1933年〜2001年1月22日)と茂山千之丞(1923年〜2010年12月4日)も出演、二人が語り、芸を披露してくれました、参加者は2500人、チケットは1500円(当日2000円)、満員の観客は二人のトークと芸を堪能してくれました。23年も前のことです。

「スクリーンのない映画館」で独自の世界を開いたマルセ太郎は、パントマイム芸人、俳優、ヴォードヴィリアン、劇作家として紹介されます。「スクリーンのない映画館」のメインは映画『泥の河』(小栗康平/監督)で、映画よりリアルと言われました。なかでも、金沢市に実在した知的障害者のグループホームを、喜劇として描いた『花咲く家の物語』は、劇作家としてのマルセの傑作でした。

狂言役者・茂山千之丞は、“シラクさんは罪なお人や”と題する文章を1998年7月16日の『朝日新聞』論壇欄に寄せ、「ポン・デ・ザール橋計画」に異を唱え、反対を表明しました。セーヌ河にかかる「ポン・デ・ザール」もどき橋を、鴨川の三条と四条の間に作ろうという計画でした。千之丞は、平和主義者だったし、狂言の隆盛をもたらした功労者です。<京都市長の奔馬のような独走が始まった>。狂言役者の文章がとどめを刺して計画は白紙撤回され、鴨川の大景観は守られました。「伝統」の世界からの異議申し立てが流れを変えたのです。

ふたりとも京都市長選で、人の前に立ち応援してくれました。マルセは、千之丞を「伝統の世界からの来訪者」と捉えたのか最初から「挑戦的」でした。千之丞は、余裕釈釈で受け答えしていました、舞台の袖で、その「真剣勝負」をくいるように見聞きしていました。文字通り「至芸対決」でした。千之丞は今年の12月に没後10年を、マルセは2021年1月に没後20年を迎えます。

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