編集長の毒吐録
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☆2020/6/13更新☆

「日は朗らかに春霞、木々は新しい緑色の美しさを噴き出してゐる。護送車から見る外の世界は躍って居る、出たい!出たい!」。1930年4月24日付のこの文章は、東京の市ヶ谷刑務所から出されたものです。差し出し人は、刑が確定する前の西田信春(のぶはる)で、受け取ったのは中野重治(作家)です。獄中の西田は「木々は新しい緑色」を「美しい」と受取り、「木々は新しい緑色の美しさを噴き出し」ととらえ、それは「朗らかに春霞」の季節だと言っています。獄中にある、27歳の青年の、水が滴り落ちるようなみずみずしい感性に打たれました。

西田は東京帝大の新人会に加わった後(東京帝大文学部卒)、最終的には、日本共産党九州地方委員会で活動しました。治安維持法に違反したとして逮捕された福岡警察署で、十数時間に及ぶ拷問を受けるも黙秘を貫き、翌日午前深夜に虐殺されました。拷問死を遂げた小林多喜二の死去する9日前の33年2月11日のことだったといいます。03年に生まれた彼の30年の短い人生でした。特高に殺された西田の遺体は、九州帝国大法医学教室で解剖されました。

西田も反戦平和のために生涯をささげた一人です。生死も死の様子も長くわかりませんでしたが、それが分かったのはようやく戦後になってのことです。そういうこともあって、長期間、西田の思想と活動は詳しくはわかりませんでした。僕もその一人です。『西田信春−蘇る記』(上杉朋史、学習の友社、1500円+税、2020年2月)を読むことで、その一端に触れることが出来ました。感謝!

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