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☆2020/6/25更新☆
<きのうを振り返りあしたを見晴るかす❹>【芝居から】“ミュージカル「王様と私」を下敷きに、マキノノゾミさんが文学座に書き下ろした会心作です。涙と笑いのエンターテインメント!”と銘打たれた文学座公演『殿様と私』(作/マキノノゾミ、演出/西川信廣、出演/加藤武・寺田路恵など)はそういう芝居です。芝居自身もさることながら、時代も勉強できました。
時は1886年、東京・麻布の白河義晃子爵(元の大名)の家です。急速に西洋化する日本になじめないで、家令とともに酒浸りの日々を送っています。53年のペリー来航は「鎖国体制」を揺るがし、徳川政府の限界を明らかにしましたが、これは、日本を、不平等条約に放り込む契機になりました。支配者の一部が採ったのが「鹿鳴館」に代表される「欧化路線」でした。そういう「西洋化路線」に反発する子爵=旧大名に「欧化路線」を批判させます。
ひょんなことから、子爵は、その「鹿鳴館」でおこなわれるダンスパーティーに出ることになっています。米国の女性を先生にして、ダンスレッスンが始まります。ドイツ留学が決まった後継ぎ息子、父親である子爵の支配に逆らえない娘、時代が一家をもて遊びます。
86年秋、和歌山県沖で英国の貨物船・ノルマントン号が座礁・沈没するという事件が起こります。英国人船長をはじめとする西洋人乗組員26名は全員救命ボートで脱出、日本人乗客25人全員が溺死します。史実であるこの事件とその後の経過が不平等条約の不当性を浮き彫りにしましたし、子爵一家の対応も直撃しました。
先祖伝来の鎧兜を身につけてうちいるべしと2回も登場する子爵と家令、切腹をしようとする家令の「失敗」など、時代逆行の姿が笑いを誘います。子爵の、時代に取り残された思い、「自立」しようともがく娘のためらいと希望、そんなことも織り交ぜて芝居は進みます。「過去の栄光」と「今の屈辱」、「未来の希望」を芝居は描きます。
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