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☆2020/7/30更新☆
京都御所の「正門」ともいうべき建礼門(けんれいもん)、南に面しています。その門の東側(向かて右)に、潜り戸があります。名付けて「道喜門」(どうきもん)、そう「道喜」の「道喜」は、「御粽司川端道喜」(おんちまきしかわばたどうき)のことです。何故、御所の正面の潜り戸が「道喜門」と言う町人の名をつけて呼ばれるようになったのでしょうか。
歴代の道喜は、この門を通って、天皇さんに毎朝「食事」を運んだとされています。これは、天皇さんが東京に行くまでの300年ほど続いたそうです。実は道喜の店(住まい)は、建礼門の西300mほどのところにある蛤御門(はまぐりごもん)を出たところにありました(いまでは道喜の店は洛北にありますが・・)。そんな老舗ゆかりの門です。
戦後1年も経っていない1946年5月1日、京都のメーデー集会が、建礼門前の広場で開かれました。このメーデー集会には3万8千人もの人が集まったといいます。会場にしろ、参加人数にしろ、隔世の感がします。建礼門前に「演説」と歓声が響くような「妄想」に捉われています。
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