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☆2020/8/12更新☆
<きのうを振り返りあしたを見晴るかす⓬>【「居住福祉」をアジアにも広げる】京都市上京区の西陣にある釘抜き地蔵は、弘法太師が開いた寺と伝えられ、「苦」が抜ける場として人気を集め、善男善女が今日もお参りしています。一切の「苦」を抜いてくれるとして、終日線香が絶えず、絵馬には「クギ」と「クギ抜き」が張り付けてあり、いまでは地域の人の安らぎの場としても親しまれています。 『災害に負けない「居住福祉」』(早川和男、藤原書店)は、3月11日の悲惨を目にして、「居住福祉」力について書いた警世の書です(早川は2018年死去)。この書は、住居そのものを分析の対象としていますが、同時に「住居」の環境をも紹介しており、著者の「居住福祉」感が広いものであることを示しています。上記の「釘抜きさん」も「居住福祉」を支え、「居住福祉」の一環をなす資源として紹介されています。
阪神・淡路大震災を直接に経験した著者は、地震や津波、土砂崩れや戦争(京都府宇治市のウトロ地区)などの災害現場などに足を運びます。そこでの見聞が本書には反映されていますが、著者は災害の結果の悲惨に立ち止まらないで、どうして、なぜ被害が拡大してしまったのかをも、考察の対象としています。日ごろの「福祉力」が災害時に露呈し、試される。この点でも、著者の主張はぶれません。
居住が権利であり、居住問題抜きで「福祉」は語れません。「居住福祉」は、市民の主張と運動なくしては成り立ちません。著者は本書の最後の文章を「日本列島『居住福祉』改造計画序説」と名付けているのですが、3.11後の日本が歩むべき道を指し示しているといえるでしょう。 著者は、いうまでもなく「知識人」の一人です。その「知識人」が権力や権威に寄り添い、権力や権威の代弁者になり下がる時、批判は鈍くなります。以前、知識人論の書物をものにした人らしく、権力の使い走りになり下がった「知識人」への批判は鋭いのです。その態度が震災被害を広げたと著者は言います。「いかなる権力にも権威にも奉仕しないことである」(エドワード・サイード)と。≪「災害は忘れた頃に来る」と言ったのは寺田虎彦であるが、私は「災害は居住福祉を怠ったまちにやってくる」と考えている≫と著者は書いています。「災害」と「福祉」を結ぶ至言。
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