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☆2020/8/15更新☆
<75年目の8月15日に寄せて> 2020年は第2次世界大戦終結75年目の年、そして僕の75歳の誕生日(1945年8月18日、京都で生を受けた。女学校の教頭の父、専業主婦の母、姉1人、兄2人の子どもとして生まれた)がある年です。日本に関して言えば、戦後75年を特色づけてきた「平和主義」が根底から揺らいでいる年でもあります。
20世紀を“戦争の世紀”と位置付けるとするなら、日本の20世紀前半は文字通りその通りでした。「富国強兵」日本、「軍国日本」は、「侵略日本」と同義でもあったのです。そして問題の一つは、“侵略の歴史”“加害の歴史”に触れることが少なかったことでしょう。そういう間隙をついて“戦後レジームからの脱却”を掲げ“戦前レジームの復活”を掲げる「安倍政治」が、日本政治を壟断する今日を迎えることになりました。 フランスで刊行された反ファシズムの寓話『茶色の朝』日本版の解説で、高橋さんは「だれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因」と指摘されています。/高橋「茶色の朝」は、すでに来ています>(「極右化する政治 戦後七〇年という岐路を前に」『世界』2015年1月号高橋哲哉論文)。
「加害」「負」の面から「日中戦争」「アジア・太平洋戦争」「第2次世界大戦」をとらえない日本は、特定秘密保護法の成立、「武器3原則」の投げすて、集団的自衛権行使容認の閣議決定などという「戦争する国」づくりの道を走ってきました。その現状は高橋が前掲論考でも指摘する僕ら国民に支えられているとは言えないでしょうか。
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