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☆2020/8/17更新☆
暑い、朝から超暑い。熱中症対策うつも暑い朝。世界で2100万人を超える勢いでコロナウイルス感染者が増え、列島でも激増している。歩行者少なく、市バスの乗客も少なく、0人というバスも、観光バス今回も0台。2枚目 の「アベノマスク」に“アベ改憲✖”と書き、“GO TO予算を 医療に回せ!”のプラスターを胸に、ゴリちゃん+ミッキーちゃん+ミニーちゃん+白うさぎのしろっきーちゃんら入れ替わり立ち替わりの13人で、7時40分から9時まで無言宣伝。五山の送り火が「戦争と平和」に関わることのミニレク2回も。自転車女性が会釈、プラスターを読む人何人か。 16日「朝日歌壇」≪原発の壊れた建屋そのままに歳月だけが流れる福島(木村義熙)≫馬場あき子、≪伊根町にスペイン風邪の石佛ありコロナ禍で知る無念の歴史(斎藤靖行)≫佐佐木幸綱・高野公彦選評「丹後半島の小さな町にもスペイン風邪の痕跡が」、≪船頭の一人もいない舟に乗る心地日本のコロナ対策(篠原俊則)≫高野公彦選、
≪うたをよむ 戦時下の金子兜太 佐々木靖章「戦時下の1943年12月、東京寒雷俳句会から合同歌集「伐折羅(ばさら)」が発行され、24歳の金子兜太の30句も載った。・・底光る夏の曇天煙突ども 幾萬(いくまん)の蠶(かいこ)の頭動くなり・・兜太は44年、トラック島に出征。戦地から「寒雷」へ投句を続けた。死と向きあう時間を「俳句」によって突き抜ける生き方であり、戦後の反戦意識の出発点になった」≫、「朝日俳壇」≪軍服を脱げぬ胸像梅雨の闇(岡部泉)≫大串章選。
●75年前の1945年8月18日、僕は生を享けた。8月6日の広島原爆、9日の長崎原爆、15日の天皇のラジオ放送、16日の京都五山の送り火中止のあとの生だった。不思議な縁(えにし)を感じている。
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