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◆ひゅうまん京都

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編集長の毒吐録

☆2019/3/21更新☆

北野天満宮に残っている御土居(おどい)の遺構の上に立って、御土居のいわれを書いた看板を見ています。西側の下は紙屋川、外側の堀(この場合は紙屋川)とあわせて御土居堀と呼ぶ場合もあります。御土居は、豊臣秀吉の時代(16世紀末)に作られた京都を囲む土塁で、全長は約22.5km(南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長)。北端は加茂川中学校の西から鷹峯、南端は東寺、東端はほぼ現在の河原町通、西端は紙屋川(天神川)に沿い、鴨川(賀茂川)と合わせて、この2つが堀を兼ねていました。

御土居の遺構は1930年(昭和5年)史跡指定されます(立っている馬喰町の北野天満宮境内の御土居は65年)。秀吉は、戦乱で不分明となっていた都の境を、御土居の築造で定めようとしたといわれており、内側を洛中、外を洛外と呼ぶことにしたといいます(ただし、御土居の内側であっても鞍馬口通以北は洛外と呼ばれることもあったという)。

この人為的な洛中・洛外の区画は不評であったと見え、政権が徳川家に移ると、御土居の外の鴨川の西側に高瀬川が開削され、その畔に商家が立ち並んだことで「洛中」は実質的に鴨川河畔まで広がりました。

調査によると、御土居は基底部が約20m、頂部が約5m、高さ約5mの台形状で、土塁の外側(西側の一条通以南では内側)に沿って「堀」があり、その幅は10数m、深さは最大約4m程度だったといいます。この土塁で、平安京では実施されなかった「羅城」が初めて実現したと言えます。

土塁のための土は膨大な量が必要だったはずですが、短期間にどのように調達したのでしょうか。秀吉が御土居に樹木(竹)を植えさせたのは美観のためだった言います。また御土居の内部から石仏が出土しますが、その理由は不明です。

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