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◆ひゅうまん京都

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編集長の毒吐録

☆2018/9/20更新☆

【読書雑記471】『核密約から沖縄問題へ』(真崎翔、名古屋大学出版会、4500円+税)。小笠原返還は戦後日米関係の小さなエピソードではなく、沖縄の基地問題にも影を落とした。その様子をアメリカの核戦略との関係で描き、2つの島の返還を核密約との関連で捉える。2018年6月26日、小笠原諸島の施政権が米国から返還されて50年を迎えた。一般住民が居住しているのは父島と母島だけだそうだが、東方に位置する南鳥島、父島から200q以上南方の硫黄列島なども含めて、広大な領域が「小笠原諸島」と総称され、東京都小笠原村に属している。

小笠原は元々は無人島だったが、1830年、ハワイから約25人の欧米人や太平洋諸島民が父島に入植する。北西太平洋を往来する欧米の捕鯨船からの経済的需要が見込まれたからだ。その後も世界各地をルーツにもつ人々が集まり、父島や母島は北西太平洋の寄港地として発展していく。50年代、米海軍艦隊を率いるペリーが浦賀に先立って父島に寄港して小笠原の米領化を図る。60年代には幕府が領有・入植事業を試みたが、いずれも短期間で頓挫し、小笠原はどの国家にも属さない島であり続けた。

76年、明治政府は欧米諸国の同意を得て小笠原の領有化、先住者は日本籍に編入され、本土からの本格的な入植が始まった。糖業や野菜栽培が主産業で、父島や母島は帝国日本の「南洋」入植地のモデルとなっていく。90年代には硫黄列島でも入植が始まり、糖業やコカ栽培を主産業として発展していく。

 父島は1920年代以降、米国を仮想敵国として要塞化される。30年代には硫黄島にも飛行場が建設され軍事化が進展する。44年、日本軍は小笠原全域の住民約7千人を本土へ強制疎開させる。一方、16歳から60歳の男性800人は島に残留させられ、軍に徴用された。硫黄島では凄惨な地上戦が行われ、徴用された島民も大半が戦争死した。

45年以降、米国は小笠原全域を軍の直接占領下に置く。例外的に帰島を認められた父島の先住者系(欧米系)島民約130人を除き、米軍は島民の帰島を拒み続け、小笠原を核基地化した。68年、小笠原の施政権が日本に返還され、父島や母島ではようやく島民の帰還が許された。だが硫黄島は米軍に代わって自衛隊の管轄下に置かれ、帰島は認められなかった。返還後も米軍が島に核兵器を持ち込める密約が日米間で交わされていたからだった。

 著者は、小笠原諸島民の特異で複雑な歴史経験を調査研究してきた。近年では各地に離散している硫黄島民1世を訪ね、戦前の島での生活、強制疎開や地上戦の経験、戦後の異郷での労苦について聞き取りを進めている。強制疎開以降現在に至るまでの74年、故郷を失ってきた硫黄島民は、戦後本土社会が「平和」や「豊かさ」を得る代わりに踏み台にした存在である。

知られること少ない小笠原を沖縄と関連付けて論じた画期的な書。小笠原返還の意義を再定義することで、戦後日米関係史や日米関係論の研究に新たな一石を投じた書である。

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