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編集長の毒吐録

☆2018/11/20更新☆

【読書雑記491】『鎖塚―自由民権と囚人労働の記録』 (小池喜孝、岩波書店、1420円+税)。自由民権期、北海道開拓のためにこき使われた囚人と呼ばれる人々がいた。亡骸は鉄鎖を付けたまま埋められた。その埋葬地を、人は「鎖塚」と呼んだ。著者は自由民権活動家(秩父事件参加者も)の足跡を追う中で、明治政府が使い捨てた膨大な人に行き当たる。犠牲者は誰なのか?なぜ死に至ったのか?「民衆史」の立場の取り組みが、忘れさられた近代の暗部をあばく。力作が45年ぶりに蘇よみがえった。解説するのは色川大吉。

明治維新は日本を変えた。その中でも、北海道の変貌はどこよりも劇的だった。「未開の原野」が短期間で切り開かれ「新天地」となった。ロシアの南進に備えるためにも、新政府にとっては北海道の整備は急務だった。

北海道開拓には多数の「囚人」が動員された。彼らは逃亡しないように、両足に約4キロの鉄玉を付けられ、ペアとなる囚人と鉄鎖で繋がれていた。「奴隷労働」と「人間以下」の扱いで、多くの人が命を奪われた。網走から北見に至る「北見道路」(163キロ)は「囚人道路」と呼ばれている。1891年に切り開かれた。

当時人口約600人といわれた網走に、1500人の「囚人」が送り込まれた。シベリアではそのころロシアが鉄道敷設の測量に着手していた。ロシアに備えるために、屯田兵村をオホーツク沿岸部に作る必要があるということで道路建設が急がれた。

それは、「軍事道路」だった。苛酷な労働ゆえに逃亡者も出た。「逃亡せる者は斬殺」とされていた。まず足を銃撃し、抵抗すると斬る。「拒捕斬殺」という。これは看守の権限とされた。毎日のように脱走者が出たという。見せしめのために鎖や縄を付けたまま埋葬したという。

その一端が映画『網走番外地』で描かれている。脱走する高倉健は、手錠と鎖で繋がった相棒と、雪原を転がるように逃げ回る。似たようなことが「国策」の名の下、開拓地では起きていた。

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