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◆ひゅうまん京都

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編集長の毒吐録

☆2020/11/29更新☆

週刊新聞『京都民報』11月29日付け「書評」欄は、<近代日本文化の“るつぼ”>の見出しをつけて拙稿を載せている。以下は全文。 『幻の「カフェー」時代 夜の京都のモダニズム』  著・斎藤光 <写真>淡交社 2000円+税

カフェーの名がついた最初の店は、1911年、銀座で開業したカフェー・プランタンだという。カフェーが一般的になるのは、大正デモクラシー以降の時代だ。後年とは違い、そこには「モダン」があった。「カフェー文化」が、パリの café`をモデルにしたことにも表れている。/京都で名高いのは、「フランソア」だろう。33年の「滝川事件」後、中井正一・久野収らは、フランス人民戦線の機関紙『Vendredi(金曜日)』をモデルに、新聞の刊行を計画、能勢克男も加わり36年『土曜日』が発行された。これには、松竹下加茂所の大部屋俳優・斎藤雷太郎が刊行していたミニコミ紙『京都スタヂオ通信』も合流、『スタヂオ通信』の継承紙として発行された。

『土曜日』は創刊当初から京都府警特高課の監視対象となっていた。これが人民戦線戦術につながると考えた特高は、37年11月8日、斉藤、中井らを治安維持法違反容疑で検挙し、『土曜日』は44号をもって廃刊を余儀なくされた。翌38年にかけて関係者全員が検挙され(京都人民戦線事件)、関係者は拘置・収監された。「フランソア」の創業者・立野正一は37年7月14日に逮捕され、次いで『土曜日』の関係者も検挙・逮捕された。カフェーにはそういう歴史もあった。

著者は本書で、近代日本文化のるつぼとしてカフェーを捉え、図版とともにその全体像を描く。明治末に生まれ全国的に流行したカフェーは、西洋風の飲食と女給の接客が魅力の娯楽空間だった。都市の形成、「大衆」の誕生、風俗誌、ジェンダー、音楽文化など日本近代の問題系が、カフェーから浮かび上がる。本書は京都のカフェー通史も描くことで、日本近代史の知られざる一面を浮き彫りにしている。井上吉郎(WEBマガジン・福祉広場編集長)

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