2015/3/10 | 東日本大震災は昨日のように感じる。前日の10日は上海にいた。みやこ作業所の仲間との旅行の二日目。おいしい中華をいただいて、ここまで無事にこれたなと安堵した夜。明日は無事飛行機が関空に着くことをだれも疑いませんでした。 「何もトラブルがなく帰れそうだね」と話しながら飛行機に乗り込んだことを今でも鮮明に覚えています。いつまでも飛ばない飛行機。「日本で大きな地震が起こった」「仙台空港が使えないから関空に飛んでくるので、着陸許可が出ない」「今日は飛べないかも」。 仲間と職員50名は飛行機の中で時間を過ごす。何が起こったかわからない仲間は不安だったと思う。しかし、誰一人パニックを起こさず、「待つ、まつ マツ」しかない。私は相方に電話をしたら、知らずに寝ていて、テレビを見て地震を認識。 実はその時相方が大変だったのです。発熱、救急車で救急搬送。病院に行ったはよいが、誰も介護がいないので帰れない。偶然いてくれたケアマネさんと連絡がつき迎えに来ていただき帰宅。そんなことは知らない私。 4時間ぐらい遅れてとんだ飛行機は関空から京都駅まで夜11時ごろに着。待ってくださっていた保護者に仲間を送り届けて帰宅。実はすごく大変だったとの話を聞き、あらためて、もしも地震や災害に遭遇したら障害者は大変と実感。 今も被災地の障害者、子ども、高齢者など社会的弱者と言われる人たちの今は大変なことばかり。しかし、問題は障害のない方、大人、若者、みんなが大変なこと。 人のいのち、そだち まなび くらし のどれもが大きな地震によって奪われたが、それを立て直していくのは国の政治や自治体の仕事では。そのどれもがないがしろにされていることに大きな怒りがある。 この国で生きるためにできることは何か、ひとりひとりが幸せになれる国ににしたい。しかし、政治のひどさ、人々の気持ちがすさみ起こる事件。 悲しみと怒りを平和を守る力に変えるためにはどうすればよいのだろうか。3月11日は大切な考える日。たくさんの命と引き換えにたくさんの宿題と取り組むこと。(いけぞえもと) |