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2015/5/5 子どもの日には、やっぱり子どものことを考えないと。私は今年65歳。あっという間におばさん、イヤ、おばあさんになってしまった。ほんとにあっという間、いったい65年間何してたんだろうか。

 間違いなく生まれたときから20年間ぐらいは、未成年で、青年期、思春期、学童期、乳幼児期、生まれたときの赤ちゃん期を過ごしたはず。たくさんの人に育ててもらい、教えてもらい、叱られ、誉められ、大きくなってきた。

 戦後、少し豊かになってきた時代に生まれたが、給食は脱脂粉乳、汽車だったから、トンネルに入ると急いで窓を閉めたこと、新幹線が開通するまでは夜行の汽車、寝台車で東京に行った。どうでもよいことを思い出してしまいました。

 意味あることもあったなと考えてみると、高校生の時先生から「君たちには未来がある」と教えてもらったことを思いだしました。いつもそれは私に夢を与えてくれて、何でもできそうな錯覚をもたせてくれたような気がします。

 大人になって、子どもたちと付き合い、教えてもらうことが多くなってきたら、子どもには未来ではなく「今」が大切なのだと思い始めます。未来は子ども自身が作るもので、大切な「今」をつくるのは大人ではないかと考えています。

 やっぱり「抱っこしてほしい」といわれたら「もう大きくなったのだから歩きなさい」というのではなく、まず「抱っこ」をしてもらってから、自分で歩く未来を自分で選択する、このプロセスと未来を選択させてもらえることが子どもの幸せでは。

 そう考えると、「子どもの貧困」は今を不安にさせているから、未来も考えられない。経済的貧困はじめ、様々な子どもにかかわる貧困状態の解決を考えるのは大人の責任。

 未来に戦争があってはいけないことは明らか、もっと子どもたちの「今」を考えませんか。今がつながって、明日があるし、未来がある。子どもたちは未来のために生きているのではない。だから「将来困るから」は通用しない。

 それは障害があってもなくても同じだと強く思っています。「将来困るから」と専門家から脅かされて、「子どもの今」が見えなくなっているいるのでは。「くせになる」「けじめがなくなる」「失敗はダメ」などよく聞かされる言葉です。

 しっかり子どもの今に付き合い、子どもの育ちを待つことが、子どもの生きる力を育てることではと、大人ができることを考えてみました。(いけぞえもと)

 

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