2017/1/17 | あの冬から22年がたち、今年も寒い季節に身を置いている。その日のことも鮮明に覚えている、1週間後に神戸のよく知っている町が様変わりしたあの町に身を置いたときの驚きも、いつまでたっても色濃く記憶に刻まれている。 今のように工夫された避難所ではなく、体育館に布団を引いただけの空間で、一時的にも障害のある方が過ごすには不便すぎた。お家を訪問し、困っていることを聞いたり、物資を運んだりしたが、できることは限られていて、申し訳ない気持ちをいつも感じながら阪急の駅まで歩いて京都に帰ってきていた。 それから何度も被災地に足を運び、その日には朝の追悼登山にも参加していた。そのたびに個人の力の限界を感じ、一方で、個人や団体がつながり、力強く立ち上がってくる姿に感動していた。そして、怒りは行政や国の無策に向いていた。 個人のチカラではどうしようもないことだらけの中で、助け合って、励まし合って、泣き合って人々はがんばって立っているのに、それに公(オオヤケ)は冷たいことにいつも直面していた。それは東日本でも熊本でも感じたこと。 そして、いつも確認するのは、非常時ではなく日常の営みが大切ということ。この日に、今の日常を見直してみようと思う。(いけぞえもと) |