編集長の毒吐録
<<前のページ

☆2020/5/15更新☆

【読書雑記636】『日本人はなぜ「お上」に弱いのか』 (安川寿之輔、高文研、2200円+税)。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」「一身独立して一国独立する」などと言った福澤諭吉は、「民主主義者」「平等主義者」と考えられている。しかしながら福沢は同時に、欧米列強と互角に渡り合える帝国主義国家への道を追い、人民支配のために天皇制の活用を論じ、天皇のために生命を投げ出すことを人びと要求した。

福沢諭吉を丸山眞男は、「デモクラシーとナショナリズムの結合」した言説の持ち主として理論的支柱にすえた。「丸山諭吉」と揶揄される所以だ。明治以降の近代日本の代表的思想家の結びつきを考える時、日本人の「お上」に弱い精神風土(僕は、それを「忖度文化」といっている)が見えてくる。「ポストコロナ社会」(国家よりも個人を優先する社会)を考える時、この本は参考になる。

著者は、一般的な理解である、「福澤諭吉は明治の近代化に貢献した重要な啓蒙思想家」「丸山眞男は戦後日本の代表的な思想家」という評価を批判する。「丸山眞男が戦後民主主義の虚妄を作りだした?」では、丸山眞男「神話」にいどむ。

<丸山眞男は、戦争責任・植民地支配責任という最重要な問題を捨象・放置したまま、自らたれ流したアジア蔑視観をバネにして「強兵富国」の「強盗国」アジア侵略路線を先導した福澤諭吉を、「デモクラシーとナショナリズムの結合した」「明るい明治」の「健全なナショナリズム」論者、「典型的な市民自由主義」者と勝手に読み込んで、(アジア侵略の先導者を)日本の戦後啓蒙の最高のモデルとしておし出したのである>という。

「日本人の帝国「臣民」化を生涯かけて追及した福澤諭吉」では、福澤諭吉は、天皇制の本質は「愚民を籠絡する欺術」と捉え、天皇制を国家支配のための道具として活用する。

Smart Renewal History by The Room

閉じる

First drafted 1.5.2001 Copy right(c)福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC