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☆2020/5/24更新☆
FB友でもある宮城県に住んでいる芳賀唯史さんが、「井上先生と一緒のスナップが出てきました。」と書いて、写真を送ってくれました。「井上先生」とは僕の兄、井上泰のことで、25年前に肺がんで死にました。60歳の現職死でした。
兄は京大理学部大学院修士課程を了えて、東北大学の金属材料研究所を経て工学部原子核教室の教員を努めました。あわせて、東北大学生活協同組合の理事、理事長でもありました。芳賀さんは、法学部を卒業後生協に勤め、専務理事であった人です(みやぎ生協を経て日本生協連の専務理事でもありました)。
1934年生まれの兄とは11歳も離れています。僕の中学生時代に家を離れ、仙台に去りました。彼は理学部で分析化学教室に属していましたので、科学と化学の面白さを満喫しました。兄が最初に席を置いたのが金属材料研究所であったということもあって、KS鋼で有名な初代所長の本多光太郎の伝記を母と共に読みました(母は、本がボロボロになるまで読んでいました)。写真は、1980年ごろものそうで、芳賀さんはサングラス姿、右側の兄は40歳ぐらいでしょうか。
1993年の京都市長選に立候補しましたが、彼は僕を推すという訳でなく、新聞に僕の人物像を語ることで、僕を「推薦」してくれました。肉親からのメッセージです。「左翼」ではなく、「リベラル」な彼のコメントに励まされました。そのリベラルは、原子核や原子力にも垣間見え、日本の遅れた現状を嘆くことにもあらわれていました。
Smart Renewal History by The Room
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