2014/8/15 | 子どもの次は孫の話です。8月15日の朝日新聞の1面に二人の孫の話の記事がありました。大変興味深く、続いている2面も読んでしまいました。 ひとりの孫は、おじいちゃんの深い思いを汲んで考えます。もうひとりも孫は、おじいちゃんの果たしたかった夢をそれが正しいと思い込みます。考え続けている孫と正しいと思い込んでいる孫の対比。 祖父の話をそばでいつも聞いていた孫は、それ以外の話を聞くチャンスがなかったのではないだろうか。回りにいる人たちは祖父の偉さを語り、「君も大きくなったらおじいちゃんの後をついで」といわれつけていただろう。 小学校や中学校で歴史は習わなかったのかもしれない。勉強が余り得意でなかったのかも知れない。難しいお勉強よりおじいちゃんの手柄話のほうがおもしろかったのかもしれない。高校や大学では何を勉強したのだろうか? 想像力や思考力はもともと誰もがもっているのではなく、教育や生活や人間関係の中で培われてくるものだと思う。たくさんの経験の中で学び取るものだとしたら、限られた経験や教育だとしたら、塑像力や思考力も限られてくるのかもしれない。 多角的に学ぶ歴史や被害や加害の事実を知る義務が人間としてあるのではないだろうか。世界の動きを見ても、戦争と歴史は切り離せない。だれか、孫にしっかりともう一度教育してくれないだろうか。事実と現実を。 誰かと他力本願していてはだめなんだと書きながら気づく。教育するのは私たち国民以外にに誰もいないだろう。(いけぞえもと) |