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☆2020/5/27更新☆
『加藤周一・講演と対話のつどい 「羊の歌」―過去を振り返り、未来を見晴るかす』を、2003年9月20日に京都造形芸術大学の「春秋座」でやったことがあります。800人も入る空間に600人ほどの人が来てくれました。「加藤周一ファン」もいましたが、多数は加藤は初めてという人でした。実行委員長は京大医学部の学生で、僕は事務局長、実行委員会の多数は学生で、残りは「高齢者協同組合・くらしコープ」の人でした。恐らく学生にははじめての経験、目標を500人に置いての無謀とも言える取り組みでした。
はじめての出会いですので、徹底な意見交換が必要でした。今の大学、医学の将来、加藤理解(多数の実行委員は加藤の本を読んだことがなかった)など、10回近くの実行委員会を重ねました。
<ペストは「突然」身近に訪れ、人々を混乱に陥れる。カミュは,世界に意味がなくても,人間には意味があると考える。「なぜなら人間は,意味を要求することのできるただ一つの存在だから」である。・・カミュは,世界に意味がなくても,人間には意味があると考える。「なぜなら人間は,意味を要求することのできるただ一つの存在だから」である・・いずれにしても,抵抗は,彼(カミュ)を,現実の不条理性の強調から,不条理に対する人間の戦いの強調へとみちびいたのであり,戦後,その問題は,小説『ペスト』(1947)や,劇『戒厳令』(1948)に,展開されている>
<ゲシュタポとその手先が,ユダヤ系フランス人の胸にユダヤ人をあらわす星の標をつけたように,ペストは市民の胸にペストの紋章の星をはりつける。ナチスの標語が「一人の総統,一つの国民」であったように,「一人のペスト,一つの国民」とペストは叫ぶ。おそらゲシュタポとその手先が,ユダヤ系フランス人の胸にユダヤ人をあらわす星の標をつけたように,ペストは市民の胸にペストの紋章の星をはりつける> (加藤周一『抵抗の文学』)。加藤の視点です。
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