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☆2020/5/31更新☆
≪悼辞―前を歩いた12人 ❻二つの道で大きな仕事をなしとげる≫ 多田富雄(1934年〜 2010)の死去を、NHKは「世界的な免疫学者で能の作者としても知られる、東京大学名誉教授の多田富雄さんが、21日午前、前立腺がんのため、東京都内の病院で亡くなりました」と伝えた。
1998年5月3日の「憲法記念日」に、京都の四条烏丸にあった金剛能楽堂で(現在は京都御苑の西側にある)、「反核・平和のための能と狂言のつどい」を開いたことがある。畳が敷いてある客席にも人が入った。500人はいただろうか。観世栄夫が能を舞い、茂山千之丞やあきらが狂言を演じた。
このときの能は多田さんの作品『望恨歌』(ぼうこんか)だった。『望恨歌』は、朝鮮半島から日本列島に強制的につれてこられた人の恨みを描いている。観世栄夫がつける面の表情が、くるくる変わるのを僕は見つめていた。異郷につれてこられた人のやるせなさが伝わる名演だったといまも思う。つどいの後の打ち上げ会で多田さんは挨拶に立たれた。 今世紀になって、多田さんは脳梗塞にやられて、声などを失った。僕も2006年、おなじような病気にやられた。多田さんは、リハビリ日数を制限しようとする厚生労働省などを相手にたたかいに立ち上がった。多田さんの発言と行動は衝撃となって、社会をゆるがした。このときの顛末が『わたしのリハビリ闘争』(青土社、2007年) にまとめられている。
友人に頼んで、多田さんのメールアドレスを教えてもらい、「メル友」になった。僕はこれまでの人生と先生とのかかわり語り、自分の文章も送った。著書『ダウンタウンに時は流れて』(集英社、2009年)で先生は、若いころのアメリカ留学を、達意の文章でつづっている。のびのびと研究に打ち込む様子が伝わって来た。
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