編集長の毒吐録
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☆2020/6/21更新☆

<きのうを振り返りあしたを見晴るかす❸>【僕を見てしゃべって!】スーパーマーケットのサービスカウンターで図書券を買いました。初めての人ゆえ、大きな声でゆっくりと、誤解なきよう注文しました。僕は大きな声でしゃべると声も顔も怒っているようになります。本当はそんなことはないのに、マヒした筋肉がそんな悪戯をしてしまうのです。声が調整できないので、叫んでいるようにもなってしまいます。

気持ちがよかったのは、僕の目を見てカウンターの女性が応答してくださったことです。実は、横にいるヘルパーさんを見やって「会話」する人が多いのです。僕の言葉が聞き取りにくいからとは思いますが、必ずしも聴きとりにくいからだけではなさそうです。発言者の僕(当事者)ではなく、同行者に向かって返事をするのは、通訳に向かって話しかけているようなもので、やはり当事者に語るのが当然ではないでしょうか。何回か行った医師は、僕が患者だのに、伝えることを介助者に言うことを繰り返しました。

無視された格好の僕としては面白くありません。相手に面と向かって、「僕に言ってください」とは言いにくいので、編み出したのが、介助者が医師の視野から消えることです。以来、介助者に向かって語りかけることがなくなりました(語りかける相手がいなくなったのだから・・)。

そんなことを僕が言ったら、出るは出るは、そういう経験があること、今もそうであることが語られたのです。そして異口同音に語ってくれたのは、おおげさに言うと、人格が傷ついたということです。自己がいるようないないような気分になったということだったのです。

そこで分かったのは、コトバが不自由だからというわけではないという事実です。問われているのは、おおげさなことを言うなら、「障害者観」「人間観」ということではないでしょうか(ことは単純で、「障害者」になれていないだけかもしれませんが・・)。批准された「障害者権利条約」は、「あたりまえ」の状態を求めています。

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