編集長の毒吐録
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☆2020/7/19更新☆

<きのうを振り返りあしたを見晴るかす❾>【ネルソン・マンデラ】ネルソン・マンデラ(1916年〜2013。獄中生活は27年間に及ぶ)は、生涯をかけてアパルトヘイトと人種隔離政策と闘い、人間の尊厳を身をもって示した人でした。1990年来日時、東京に行って見たことがあったし、大阪の扇町プールでの演説を聞いたこともあります。1990年秋、「アマンドラ」京都公演を友人とともに成功させました。

アパルトヘイト政策をとる南アフリカ政府によって国外追放の憂き目にあった人々数十人が、「アマンドラ」(Power to the People 人々に力を)という名の歌舞団をつくっていました(団長はジョナス・グアングア、トロンボーン奏者でもありました。僕らが編集したブックレットに『アマンドラ』(かもがわ出版)があります)。その歌舞団を日本に招いて各地で公演しようという計画が持ち上がりました(1990年27都市7万人)。
京都では、府立体育館で5000人を集めた公演することにしました。予算は1000万円(!)。京都に「アパルトヘイトNO」の世論をつくりたいと考えてのことでした。「名誉白人」と呼ばれたように、日本は経済的には強い関係を持っていたのです。日本は南アの最大の貿易相手国になっていたのです。世論を変える一助になればと考えてのことです。

「アマンドリアン」と呼ばれる若い人たちが、準備の輪の中に加わってくれました。事務所を設け、事務局専従の人を3人雇いまし。学生、アルバイター、主婦、無職の人など100人を超える人がかかわってくれました。反アパルトヘイトの学習を続けたこともあって、その後、第3世界にかかわる仕事を選ぶ人も出てきました。

マンデラは、理不尽に立ち向かい生きる道を選ぶとき、灯台のような人でした。「名誉白人」と揶揄される体質を日本の進出企業はもっていました。「アマンドリアン」にとって「アマンドラ」の表現者たちは目標になりました。あれから30年、初心を忘れない「アマンドリアン」との交流の機会を準備しています。マンデラは「寛容」の人でした。

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