WEB福祉講座
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☆8/16更新☆

第8回 心病んでも、なおも……精神障害の当事者として(2回連載)
(下)1人の精神障害者の軌跡


 それでは、僕の場合の精神疾患について、少し話すことにしましょう。
僕が初めて精神病院に入院したときの病名は、いや病名というよりも精神状態に対する専門医の診断は 「精神的、肉体的な過度の過労による精神錯乱状態を来たしたとともに、極度の鬱状況にあった」というも のでした。

「事業路線上の失敗」が引き金

 その当時、僕は専務補佐という役職名で、事業の政策と計画、四つの事業部門の方向性をプランニング するとともに、その実行について責任を持つという立場でした。そして、ある事業を巡って、ある意味では、 事業の大幅な後退を余儀なくされるかもしれない事態に直面しました。それは、その組織の浮き沈みがか かっているような、極めて重大な「事業路線上の失敗」でした。そして、その「失敗」について、今から思えば、 僕には直接の責任はなかったということが解りますが、当時は自分に全責任があるかのように認識し、そ の失敗をどう乗り越えていくかということで真剣に悩みました。まったく眠れなくなるほど、悩んだ訳です。80 時間ぐらいの不眠でした。自分の力ではどうしようもないことだから、さっと身を引けば済む問題だったので すが、そうせずに真正面からその壁を突破していこうと考えました。そして、その突破口が見つからず、僕 を追いつめていったのです。あくまでも、完全なものを追求していった結果です。そして、その先には入院が 待っていました。

  睡眠注射によって僕は2日間ほど眠った

 精神病院への入院。そこに入院するなどと考えてもいませんでした。でも、強い睡眠注射によって僕は2 日間ほど眠っていたらしいですが、その睡眠から醒めて、保護室-いわゆる監獄のような鉄扉とコンクリート の壁があるような部屋です。そこで、目覚めて、僕は絶望などしませんでした。正気であることに喜びさえ感 じました。
 初めて、そういう病院に入院するという体験をして、他のみんながどういう気持ちになるかは知りませんが、 僕の場合、特別なショックを感じるとか、さっき言ったように絶望感に襲われるとか、そんな感じは一切あり ませんでした。その一方、そこの病院に馴染むとか、負けるもんかという切羽詰まった感覚もなく、意外と冷 静でしたね。よし、淡々と過ごしてやれ、そんな意識でした。
 入院2、3日目からは、あれほど悩み抜いた仕事のこともどっかの世界に飛んで行ったしまったかのようで した。勿論、精神病院に入院するほど疲れ切ってしまったのは仕事だけのことではなく、そのことに重ねて、 他に二つ、だから合計三つですね、その三つの要因が複雑に重なり合って、僕の精神を袋小路に追いやり、 徹底して痛めつけられたという感じでした。他の二つのことに関しては、少し差し障りがありますので、今は まだ言えません。ただ、他の二つのことに関しても、梅雨明けの青空のように、まるで霧が晴れるように、い つのまにか僕のこころから消え去ってしまったみたいでした。

初めて与えられた休息の時間

 だから、その病院で僕は、自分自身を取り戻すことが出来たといえます。ほんとうに不思議なことですが、 入院したということに対する後悔の気持ちなどは、全く生まれてきませんでしたね。
 そこの病院の中庭は景色がいいんです。花壇があり、花が植えられていて、そうですね、僕は花の名は ほとんど知らないんですが、結構大きな木に白い、大輪の花が咲いていました。普段は、花をゆっくり見る などという生活はあまり体験したことがなかったんですが、その白い花にいろいろな思いをたくしましたね。
 フェンス越しには北山が見えますし、近くを川が流れていて、そのせせらぎが聞こえて来るんです。僕は、 病院では、本当に何もすることがないので、その中庭のベンチに座りながらタバコを吸って一日をゆっくりと 過ごすという生活でした。
 今から、思い起こせば、僕の人生の中で、少し大げさかもしれませんが、初めて与えられた休息の時間で あったような気がします。

35才の時、僕は壁を越えられなかった

 つぎに、精神病院への入院は僕の人生の中で、どういう意味を持っているか。あるいは、一般的に言って、 極めてショッキングな出来事である経験が僕の生活、僕の精神の中でどう位置付いているのかという問題 について少し、触れてみたいと思います。
 入院前の、したがって、精神障害者になる前の僕自身のプロフィールのごく一部分、そのさわりを話しお きたいと思います。
 前に、話しましたが、自分で自分を評価するというのもおかしな話ですが、僕自身が課題であると思った ことは、だいたいにおいて、達成してきました。仕事の関係も、一種の小売業に勤めていたのですが、入社 してから3年経った26才の時、当時で8000万ほどの売り上げがあった店の店長を任されました。その店は、 他部門と併せても赤字で、ざっと1200万の赤字だったんですが、3年で赤字を克服しました。その功績とい うことなんでしょうか、28才でその組織の役員に選出されました。それからは、順調に仕事をこなし、いくつ かの大きな仕事も難なく、いや難なくというのは正確じゃあないですね。結構努力してといった方正確です ね、人知れず勉強もして、僕が自由に出来る時間はすべて仕事のことに費やすという実態で、難しい仕事 もこなすという状況でした。それらのことを話し出したら、キリがないんで、このぐらいにしておきますが要は、 十分すぎるほど、能力が発揮出来たということを理解していただければいいかと思います。そして、35才の 時、僕の前にあった壁を越えきれず、入院というものが待っていたのです。

障害を持つことによって、僕は生まれ変われた

 別に人生の締めくくりを迎えているわけじゃあないので、そうですね、まだまだ人生の途上にいるので、こ と細かく振り返る必要もないのだろうと思いますが、この入院によって、まるで風景の違う、今まで走ってき た道、いわゆるマラソンロードとは別の道を行かなければならなくなったわけで、結構価値観の転換に苦労 しました。ある意味では、戦いの戦列から、やむを得ず離れるといった感じであったかも知れません。
 そして、決して短くもない障害者としての時間を生きてみて、僕は今、精神障害の3級という手帳を持って いるのですが、その精神疾患を持ちながら生きてきて、いわゆるフラジャイルという弱々しさのなかにある 強さのようなもの、はかなさを感じながらもそのなかにある人間らしさのような感覚を手にしているような気 がします。
 健常者としての人生、障害者としての人生、そのまるで様子の違う、2種類の人生を味わえて、結構幸せ なのかも知れないですね。いわゆる人間の弱さをも、以前の僕は、入院するまでという意味ですが、決して 許せませんでした。「そんなこと、出来ません」と決して言わない人間でしたし、弱音を吐く人間は大嫌いで した。でも、今は弱さを受け入れることが出来ます。「弱さ」ということが決して、悪いものだという風に考えな くなってきています。
 本当のやさしさも解るようになってきたように思っています。やさしさというものは、その人が自力で歩ける ように手を貸すこと、傷ついて、打ちひしがれているときは一緒に悲しんで、その悲しみを軽減してあげるこ とではないのでしょうか。
 精神疾患を持って生きていくことは、そう簡単なことではないけど、この曲がりくねった道の向こう側の景 色はどうなっているんだろうと思うとき、又、健常の時とまるで違った価値観を手にしたとき、障害を持つこと によって、ある意味では、僕は生まれ変われたのではないかと思っているところです。

トータルなプロデュース活動としてのケアー

 つぎに、ケースワーク、ケアーとはなにかという問題を考えてみたいと思います。人間、生きていくというこ とは自分の目の前にある課題を一つ一つ、解決していくことだと思います。そして、決して一人だけでは生 きていけないのだから、組織-それは、家庭であったり、会社であったり、あるいは友達グループ、地域社会 であったりするわけですが、その組織で生きていく、いわゆる生活していくためには、協力しあうこと、コミュ ニケーションをとりながら、したがって、ある程度我を押さえ、環境に順応しながらいく必要がありますね。み なさんも普段、意識しているかいないかは別にして、そうされていることかと思います。でも、精神障害者の 場合、僕の経験からすれば、そのことが、そうした環境に順応することが極めて、困難になったりします。 精神疾患の発症メカニズムは解明されていないということを言いましたが、ある意味では、変化する環境 に順応する、自分の生活に適応する環境を創り出すことに失敗したからこそ、この病気になったのかも知 れません。これは、広い意味での「生活能力」の欠落、もしくは損傷だといえるのではないのでしょうか。 したがって、ケアーとはその損なわれた生活をしていくための力、生活創造していく力、環境などを、この 環境という言葉は自分の身の回り、その周辺という狭い意味で理解して欲しいのですが、その環境を変え ていく力を蘇生・再生していくことだと認識して欲しいと思います。
 その人の、人間として本来持っていた個性、力を補正していくことだという理解が必要かと思われます。 だから、ケアーというものは、その人の成長を助け、人間としての生きていく能力を開花、花開かすと言うこ とですね、その開花を手伝っていく、トータルなプロデュース活動であると僕は思います。それが、精神障害 者の一人として、僕らが望んでいるケアーの実体です。

不安を取り除き、再起を実現していくことがケースワーク

 そのケアーを実践していくために必要だと考えていることを提起したいと思います。それは、極めてナイー ブなことです。
ラポールという言葉があります。それは、精神治療していく関係の中で絶対必要な、心と心が繋がって、 融合し合う状態、ど言いったらいいんでしょうか、心と心が溶け合って一つになった状態とでも言えばいい んでしょうか。そういう二人の個性がいい関係で響き合う、共鳴しあう関係が出来上がった状態のことをラ ポールといいます。ケースワークは、精神疾患の治療とは違いますが、そうした相互のパーソナリティの認 め合いがなければ成立しないということです。精神障害者は心に大きな痛手を受け、傷つき挫折していま す。
 決して、勇気がないわけじゃあないけど、又、同じ失敗をするのではという不安、その不安は結構大きな ものであったりするんでずか゛、そういう不安を抱えながらいきているわけです。その不安を取り除き、その 再起を実現していくことがケースワークの本質的な実体ですから、このラポールは大切な要素であるという ことを是非理解して欲しいと思っています。そうでなければ、障害者はこころを閉ざしたままで、ケースワー クは成立しないからです。そういう意味では、ケースワークというものは壮大で、極めて創造的なもの、果敢 にチャレンジしていく価値のある仕事だと考えていいかと思います。

問題は現場で起こっています、参加を。

 さて、少し時間が足りなくなってきました。予定では、小説家村上春樹の作品「ノルウェーの森」に登場する 直子、彼女はみなさんと同じように大学生で、精神疾患を患い、その病気がもとで、自殺してしまうんです が、この小説を題材に、直子の青春、苦しみ、希望などを一緒に考えてみたいと思っていました。また、僕 が考える、ケースワーカーの能力とスキル、ケアープランの戦略とその実際、ケアーワークの創造性、ケア ーマネジメントのポイント、精神保健福祉士、ケースワーカーに必要な資質、いわゆるパーソナリティとして 能力の問題ですね。それから、あなた達に望むこと、学生として学んでいく場-そのフィールドの問題、現実 をしっかりとリアルに見ることの重要性などなどを話したいと思っていましたが、時間が許しません。次の機 会があるかも知れませんので、つぎに譲りたいと思います。
 最後に一つだけ言っておきます。僕は、社会福祉法人「光彩の会」の生活支援センターを一つの生活の場 としているんですが、そこには多くの障害者が訪れます。そこで、文字通り、「大捜査線」の織田裕二じゃあ ないですが、問題は現場で起こっています。その現場を知るということは今後のあなた達の学び、人生にと って有意義だと確信しています。一人でも多くの人が、ボランティアとして参加されることを望みます。ご静 聴ありがとうございました。

(本稿は2001年6月29日の花園大学での「精神保健福祉援助技術各論」の特別授業での講演記録に加筆・修正を加えたものです)
(「下」終わり。“心病んでも、なおも……精神障害の当事者として(2回連載)”完。次回は9月3日更新予定 です)
 
 筆者紹介
北山一憲
35歳の時、「肉体的、精神的な極度の過労による精神的錯乱状態が認められるとともに、強い鬱的状況にもあって」との診断を受ける。本誌に“ルナーティックナ散歩道”を連載中。
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