千代野ノート
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☆11/01更新☆
 第37回 鞍馬山

 叡山電鉄「出町柳」駅から鞍馬線に乗車し、終点の「鞍馬」駅で下車すると思い出の中の風景とは少し異なっていましたが、鞍馬名物「木の芽炊き」の香りがするのは昔と一緒です。広い通りを北の方向へ数分間進むと鞍馬寺の仁王門が見えます。仁王門をくぐってしばらく行くと、鞍馬山保育園が今も健在でした。

 直ぐにケーブルの山門駅がありますが、よく言われる「九十九織の道」を休み休み歩く事にしました。「脚の痛みも随分楽になってきているので無理はしないでゆっくりと…」。

 道中には色々な歴史を感じさせる祠があります。仁王門から鞍馬寺本殿金堂まで徒歩約35分と一応書かれていますが、上り道でもあり、本殿が見えてきた時は「やっと着いた」と言うのが正直なところです。脚のシップをはりかえて本殿のお参りを済ませてから少しだけその近くを歩く事にしました。

 本殿金堂の後方から出土した経塚には平安時代から伝えられた200余点の遺物が納められて、「鞍馬寺経塚遺物」として国宝に指定されているようです。鞍馬寺は牛若丸(義経の幼名)が修行したと伝えられていることでも有名で、牛若丸(義経)縁の遺跡も多く見られます。

 もう一つ有名なのは「鞍馬の火祭り」ですが、由岐神社の祭礼だそうです。由岐神社の境内から少し進むと道の左手上方に「義経公供養塔」が見えます。ここは「東光坊跡」とも呼ばれていて、牛若丸が7歳から約10年間住んでいた場所といわれていますし、牛若丸はここから、奥の院まで毎夜修行に通っていたと伝えられています。

 貴船神社と地理的に近いので、鞍馬寺に参拝の後、山道を通り奥の院から貴船神社に参拝する人も多いようで、逆に貴船神社から鞍馬寺に廻る人もいるようです。目的も無く歩いているうちに、子供がまだ保育園に行っていた頃、雪が降ると家族で冬山の装備をし、奥の院から貴船まで雪を踏みしめながら冬山登山気分を味わっていた事を思い出しました。

 小学校5年生〜6年生の頃、鞍馬山を信心していた父親は毎月のお参りを欠かしませんでした。都合がつかない月は私が代わりに一人で行かされたのです。50年以上前の事なのでどうでも良いのですが、「何故兄ではなくて親は私をお参りに行かせたのだろうか?」との疑問がありました。どうして親に「鞍馬山行きのお使いは嫌や!」と正直に言えなかったのかは今でも分かりません。

 親から預かってきた物(お金)を本殿の受付に渡すと、鞍馬山と記された杉で出来たお箸ともう一つ何かを貰うのです。ですからそれが証拠のような気がして嘘はつけませんでした。慣れて来ると駅員さんや、お店の人が「小さいのにえらいなぁ、お参りか?」「もう終わったのか早かったなぁ」と声をかけてくれるのですが、「どうすれば早く親の用事を済ませることが出来るのか」といつも考えていました。

 そのうち、鞍馬駅の時計の時刻を確認して鞍馬山に向かい、戻ってきた時の時刻を確認して所要時間を記録して、それを更新する事を胸の中で決めてからは、時を刻む数字が、お使いのお参りと言う行動を応援してくれる気がして、味方が増えたような気持ちになったものです。

 複雑な心境を抱え、うつに鉛のおもりを付けられたような気分を奮い立たせて、10日ぶりの外出が何故鞍馬山行きだったのか良く分かりませんが、15年振りに本殿前から市内を見下ろすと「嫌なことは忘れよう!」「無理な前向きはやめよう!」「こころの自由を守れ!」「ひとりの時間は宝なのだ!」と跳ね返ってきて朝の気分が少し成長したようで「うっちゃん」お勧めのパワースポットとなりました。

筆者紹介
川岸トシ子
1947年生まれ。30年もの長きにわたって、保育園の調理師をつとめる。彼女のお料理で育った子どもは数知れない。うつ病との付き合いは10年以上に。今も、料理に腕をふるい、美術館めぐりに精を出す。 
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