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医療や健康に対する国民の関心は盛んになったけれど、必ずしも正しい知識が普及しているとは限らない。
正確な医学的知識を広める役割は医師や医学研究者にあるのだろうが、これらの人たちの流す意見が、すべて大局的でかつ個々の人の細かい病状まですべてを考慮した上でのものであるかというとそうとは限らない。
というか、それぞれの人生観や死生観も絡むから、どれが正しくてどれが誤りかということ自体難しいことが多々あるのだ。
それでも、一般的に間違いないとされているものがある。健診の有用性だ。高血圧症、糖尿病、高コレステロール血症、高尿酸血症、悪性腫瘍、いずれも早期発見、早期治療が望ましいとされている。
しかし、健診が病気を作り、患者にされた人たちが不安の中をキリキリ舞いさせられているということはないだろうか。著者はこれを「健診病」と名づけて注意を喚起した。
医学会の常識に異議を唱えることは医療人としてはなかなか勇気の要ることだが、著者は果敢に挑戦した。実は私も、著者と似たような考えを持つに至っている。自覚した医師として、そうした時流と違った発言をすることも必要だとは思うけれど、なかなか難しい面があるのもたしかなのだ。
著者はきっぱりと言う。
たとえば健診でコレステロール値が少し高いと、詳しい脂質の検査をして、食事制限を言われ、薬を処方されて一生飲み続けることにもなりかねないが、それはあやまっているのではないか。
コレステロールの基準値の線引きも施設によって異なるいいかげんなものだし、心疾患が欧米の5〜6分の一である日本で220越えるとすぐに心筋梗塞の危険が高まると煽る意味はない。コレステロール値が高いと脳卒中になり易いというデータは全く存在しない。
いくら制限しても食事でコレステロールは下がらないし、生活が味気なくなるだけのことだ。薬では下がるけれど、薬で下げたことがどれほど心筋梗塞を防ぐ上で役に立ったかは検証できていない。
一方、抗コレステロール剤の副作用は確実に存在するし、長期にわたればまだ分かっていない副作用が出現する可能性もある。このような問題点は上に挙げた他の「疾患」についても共通して指摘できる。
そもそも「症」と名前を付けたから病気になっただけで、高血圧、高コレステロール、高尿酸という状態をさしているだけのことだ。病気になりやすい状態を病気と言ってしまって患者を増やそうとしているのだ。
一時期流行した脳の異常さがし「脳ドック」は下火になったけれど、今は、骨粗鬆症という測定してもどうしようもない骨密度検査が騒がれている。さらに最近は老化度を判定するドックができたらしい。いやはや、医療への関心を食いものにして、機械屋や薬屋の儲け商売に医療側も一役買っている観がある
。というように著者は、医療で儲けるということから離れて、患者さんの目線に立って、患者さんを過度の医療依存から解き放つ方向へ導こうとしているのだ。
時間と費用と過度の医療に伴って生じるかもしれない不利益がありうるということを伝え、健診を受けるか、また結果にどう対処するかは、本人が決めるしかないということを知らせていくことは必要だ。
これまで、こうした考えられる不利益について、医療側はあまり発言してこなかったが、これからは、医療を内部から知っている医療人が患者の立場でものを言っていくべきだろう。それが、医療への信頼にもつながると私は思う。
しかし、こうした主張はつい行き過ぎた発言にもなってしまう。尿に血液がまじっていたとしても「腎臓や膀胱の腫瘍などというものは珍しい」からと放置しておくことを勧めたり、便潜血陽性のとき、「ファイバー検査をしても癌はあまり見つからない」から、「症状がなければ放置しておいてよい」と言う著者に対して危惧を持つ。
そこまで他人に対して言い切ることは逆に無責任ではないか。「体温計を捨てましょう」「血圧計を捨てましょう」ともいうが、そうすることによって、神経質な患者のストレスが減るというものでもないだろう。
結局、本人の判断に委ねるしかないのであり、医師が心すべきことは「不安を煽らない」ということであるように思う。 |
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『「健診病」にならないために』
松本光正 著
日新報道
発行 2005年3月
本体価格 1400円+税
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筆者紹介 |
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若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
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