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『BC級戦犯裁判』

林博史 著
 靖国神社合祀に関わってA級戦犯という言葉はよく見聞きする。では、BC級戦犯とは何なのか、どこでどれほどの人がどんな風に裁かれたのか、そしてよく言われるように、条件の整わない中で勝者に一方的に裁かれ、不公平で雑な問題だらけのものだったのか。本書は、そこら辺の疑問をわかりやすく説明してくれる。

 A級戦犯とは「平和に対する罪」に相当する人だから、当然政府高官や軍の指導者で、東京裁判で裁かれたのは 28人、うち7人が死刑になった。一方、BC級戦犯とは「通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」に問われた人たちで、個々の残虐行為に関わった者(命令者から実行者まで)が裁かれた。
 
 米・英・蘭・仏・オ-ストラリア・中国・フィリピンの7カ国(ソ連を含めると8カ国)により各地で行われ、裁判にかけられた人はあわせて約5700人、死刑になった人は934人にのぼった。

 たとえば、日本軍が認めた人数でも5000人、地元では4〜5万人が虐殺されたといわれているシンガポール華僑粛清事件では、起訴されたのは上級幹部だけでうち2名が死刑になっただけだった。
 
 一方、石垣島米兵処刑事件では、3人の犠牲者に対して責任者から末端の実行者まで7人の死刑者を出した。中国人を強制連行・強制労働をさせた花岡事件では、軍や政府幹部、企業の経営者たちは免罪され、企業と警察の末端のみが裁かれた。こんなふうに、BC級戦犯裁判といってもさまざまで一様に論じられないことがわかる。

 さまざまであるということは、問題が確かにあったということだ。しかし、そこには宗主国と植民地、欧米人とアジア人、エリートと民衆、男性と女性などさまざまな要素が絡み合っていたからであり、「勝者と敗者」とか「被害者による報復」といった単純な話ではなかった。
 
 BC級裁判は戦後処理の上でどうしても必要なものであったし、むしろより大きな問題点は、非占領国の軍人への虐待は裁かれたが民間人への虐待は裁かれなかったこと(たとえば七三一部隊や重慶爆撃)、戦勝国による原爆投下や市街地への無差別空襲が裁かれなかったこと、属国にされていた台湾・朝鮮の人たちに対して日本人として加害者の側に括られたこと、そしてなによりも、ほとんどの残虐行為が取り上げられず裁かれなかったということだろう。

不十分だった戦犯裁判は、日本の国全体にあいまいな反省しかもたらさなかった。アメリカの統治を逃れた1951年、平和条約の調印とともに国内で戦犯釈放運動が活発となった。戦犯も戦争犠牲者とみる見方が優勢となったのだ。

 こうして被害を受けたアジアの人々は視野の外に置かれ、国民みずからが責任を負おうとする志向は弱まっていった。こんなとき、第一線の戦場にいてBC級戦犯としての罪に問われ刑に服した人たちの中に本当に反省したものがいた。
 
 加藤哲太郎は「私たちは再軍備の引き換え切符ではない」と雑誌『世界』(1952.10)に書いた。一部の人々は再軍備や憲法「改正」のために戦犯を利用していると批判し、「死の商人」の運動のおかげで釈放されることは望まないと主張した。
 
 実際、続々と釈放される戦犯たちに歩調を合わせるかのように、警察予備隊は1952年保安隊に名を改め、さらに1954年自衛隊が誕生した。
 
 また、1959年には刑死者346人が靖国神社に合祀され、その後、BC級戦犯全員の合祀、1978年にはA級戦犯合祀が実現した。

 本書で初めて教えられたことだが、この加藤哲太郎は実は1958年テレビドラマ化され話題となった『私は貝になりたい』の作者だった。ドラマは、上官の命令でアメリカ人捕虜を刺殺し損じた二等兵が死刑に処せられるという、BC級戦犯裁判を批判するものだったが、これは原作とも作者の意図とも大いに異なるものだった。史実として、死刑に処せられた二等兵は一人もいなかった。

 戦後の日本では、「戦争が悪い、戦争さえなければ…」という「絶対平和主義」の思想の下に、戦争下の個々の事件についての細かい探求を避けてきたことが、戦争責任について深く考えなくさせてきたのではないかと思う。すべてを戦争の狂気のせいにしてしまってはいけない。
『BC級戦犯裁判』
『BC級戦犯裁判』
林博史 著
岩波新書
発行 2005年6月
本体価格 740円+税



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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