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原作は、大西巨人が1960年から1980までの20年をかけた大著で、光文社から全5巻が出版されている。
本書は、映画化の話が進む中で、荒井晴彦が脚本に挑んで六分の一に圧縮したシナリオだが、これをさらに1/6に縮めないと1時間50分の映画にはならないという。しかも、兵営という閉ざされた舞台設定で、法律や哲学・文学にかかわる長台詞や独白それに注釈が多く、映画化の実現までには多くの困難が予想される。
しかし、本書を読んで私も、戦争犯罪を軍隊生活の内部から描いたこの意欲的な作品の映画化を是非とも応援したい気持ちになった。本書は、実に肉太の手に汗を握る描写の連続であった。
原作を読まないでの紹介は少し気が引けるけれど、このシナリオを私の理解できた範囲で紹介しておきたい。
物語は、原作者大西巨人とダブる東堂太郎という主人公が、1942年(昭和17年)初頭に対馬要塞重砲連隊に入営した 3ヶ月間の兵営生活を描いたものである。
九州帝国大学法学部を中退して新聞社に勤務し、反戦活動をしたとして逮捕歴もある合理的思考をする男が目にするさまざまな出来事が細かく描かれている。軍内部で当たり前で通っていることが軍規に照らしてどうなのかにこだわり、不利を覚悟の上で上官に疑問を問いただす東堂の勇気ある言動に驚かされる。
たとえば、「知りません」はダメで「忘れました」と言うことが強制されるが、これは軍規に書かれているきまりなのかと質問する。また、ある兵士の三八式歩兵銃がさやの歪んだものに取り替えられていた事件で、前科があり「部落」出身という男に疑いがかけられていく不合理に対して抗議したり、下士官たちがガンスイ(うすのろ)の兵隊に対して10分後に磔の刑を執行すると言って脅す事件への異議を申し立てる。
東堂に対照的な人物として、農民出身の軍曹大前田文七が配置されている。彼は、根っからの軍人だが、一応、論理的な意見に対して聞く耳を持っている。論破され続けた恨みを、東堂のささいな間違いを捕えて制裁の復讐を遂げたものの、「ゆえなく勤務の場所を離れた」という軍規違反で捕縛されていく役柄だ。
この二人による“言語ゲーム”のようでもある対決が、軍隊の論理を体現していて興味深い。超人的記憶力を持って軍隊法規を逆手にとって戦う勇敢なスーパーマン、そんな人間はいないし、その論理を冷静に聞く下士官なんていなかったという意見もあろう。しかし、大西巨人には、こうでなければ本当の軍隊生活は描けないという確信があった。
じつは、大西巨人がこの反戦文学を描く前に、「大西・宮本論争」と呼ばれる経緯があったのだ。それは野間宏『真空地帯』の評価に関したもので、大西巨人は『俗情との結託』(新日本文学1952.10)で、「個人が軍隊という組織と対立する構図が作られている」「善玉・悪玉と定型化されている」「内務班が『真空地帯』であるという認識が誤っている」と批判した。
そのことを評論家の本多秋五は『物語 戦後文学史』(新潮社1966)でこう解説している。
「大西は、兵営軍隊を『真空地帯』だとする野間宏の見解は、軍部内部に存在する敵対関係を見落とした静的固定的な見解であって、それは軍隊内部における『敵対関係、下からの抵抗の存在乃至存在可能性を把握せず、入営イコール被同化吸収とする抵抗放棄の兵営観を樹て』たものであり、それが『俗情との結託』だとした」のだと。
それに対して宮本顕治は「大西の批評は兵営が別世界でないとするあまり軍隊兵営がやはり一種特別の世界であることを否定するという誤りにおちいった」(「組織と批評の問題から(2)」1954.04)と言った。この論争は、当時のコミンフォルム批判に端を発した日本共産党主流派と国際派との闘争や、新日本文学会と人民文学一派との闘争とも無関係ではなかった。
論争はともかく、大西はこうした確固とした立場から、みずからの軍隊生活を小説に著わしたのだ。ここで描きたかったのは、横暴な軍人に対して人格が認められない卑小な兵隊という構図の、一般社会から隔離された「真空地帯」ではなく、どのような場にあっても、人間らしさを求めつづけなければ小さな人間の誇りさえも守られないという心底からの叫びであった。
それはたしかに、軍隊における不合理は個々の人間がもたらしたものであるというリアリティを生み、天皇をはじめとした日本上層部の無責任体制への厳しい痛打となっている。 |
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『シナリオ 神聖喜劇』
大西巨人原作、荒井晴彦脚本
太田出版
発行 2004年12月
本体価格 2800円+税
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筆者紹介 |
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若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
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