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『新編 森のゲリラ 宮澤賢治』

西成彦 著
 宮澤賢治を正確に理解するのは難しい。

 仏教用語や自分の造語を頻繁に用いるし、奇抜な童話があったり感覚的な詩であったりしてなおさらだ。賢治大好きという人も、それぞれが部分を自分流に解釈して気に入っているようにも見える。

 私も少年期には、他人に過剰に同情できる賢治の犠牲的精神を尊敬もした。『雨にも負けず』や『グスコーブドリの伝記』などを読んでである。『永訣の朝』の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」の詩も大好きだったが、青年期以後は、精神的に自分を律する厳しさは認めながらも、社会の見方や階級・階層といったものをどう考えていたのかという点で物足りなさを感じるようになっていた。

 『銀河鉄道の夜』も、ロマンチックで人間愛に溢れたなんともいえない良い雰囲気を湛(たた)えた童話であるが、その解釈は各人各様であるように見える。

 つい先日、立命館大学「平和ミュージアム」で催されていた知里幸恵展の一環として、「同時代人としての知里幸恵と宮澤賢治」と題する講演とシンポジウムが行われ、そのシンポジウムの座長が著者だった(講演者は池澤夏樹)。

 そこで分かった二人の共通点は、同時代ということ、東北と北海道と距離的に近いこと、先住民と開拓民の闘いというとらえ方をしたことだ。そして、たしかに賢治はアイヌ文学(神謡集)の影響を受けていた。知里幸恵はもちろんアイヌという先住民の立場から詩を書いたのだが、賢治は果たしてどういう立場に立っていたのか。

 賢治が難しいと同様に、賢治論である本書もすんなりとは理解しがたい。不十分ながらも私なりに理解したことについて紹介しよう。

 『森のゲリラ』1東北文学論―植民地文学からクレオール文学へ<宮澤賢治の位置>の冒頭の書き出しはこうである。「宮澤賢治は世界の中間(中心ではない)にいる。東と西の間、北と南の中間を振動している。」そしてどこででも異人であり、最後まで異物として生き延びた。そうした賢治を著者はクレオール作家と呼んだ。

クレオールとはなにか。

 「カリブ海の植民地を考える際に、先住民がいて、ヨーロッパ系の植民者がいて、輸入奴隷がいてという、そういう三重の異文化接触の結果生まれるものがクレオールというふうに一般的にいわれている。」

 そして、自分はべつに正当なヨーロッパ文化の継承者でもないし先住民文化の継承者でもないと考えるのがクレオール人、つまり雑種として自己規定をしている人だ。

 そのつもりで賢治の作品を読むと、「セロ弾きのゴーシュ」のゴーシュだけが賢治を表出しているのではなくて、つぎつぎに出てくる動物たちはみんな賢治の分身なのだとわかる。

 民俗学者柳田国男と対比してみると理解しやすい。柳田国男は、入植者の立場から滅び行く先住民たちをことさら排除と差別の対象として描いた。これに対して賢治は、新移住者にとって鹿が異類であるのと同様、侵略される側の動物たちから見れば、新移住者が同様に異類であるということを踏まえた上で成立する童話を書いた。

 賢治は先住者という意識から自由でなかった。といって農民ではないから、自分もまた外からやってきて商業資本を持ち込んだ側の質屋の息子だという意識も当然あった。そこがクレオール系住民といわれる所以だ。

 賢治は、ひとしく誰もが植民地人で、被征服民か入植者か、輸入奴隷かといった問題は大した問題ではないと考えていた。そう考えながらも、先住民と開拓民、動物たちと人間、地方人と都会人、先住民と奴隷といったものたちの闘いを作品に描いた。

 賢治が解かりにくい別の理由は、はっきりと系統立てて書かなかったことだ。常に揺れて迷っており系統だった思想になり得ていなかったから、断片的なことを提示することしかできなかった。

 賢治の作品は「風が運んでくることばのように、ページの前後もわからない草稿紙の山だ」「賢治ほどテクストそのものの同一性が不安定な状態にある作家も珍しい」と著者も書いている。読者が解かり難くて当然、しかし、それは賢治の弱点でもあるだろうがやはり大きな魅力でもある。

『新編 森のゲリラ 宮澤賢治』
『新編 森のゲリラ 宮澤賢治』
西成彦 著
平凡社ライブラリー
発行 2004年5月
本体価格 1000円+税



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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