|
|
現代の売春は、以前の貧困が原因のものから自由意志によるものに変わってきたといわ
れる。本当にそうなのか。そうだとすれば、何を根拠に「いけないことだ」と言い、防止す
ることができるのか。
売春は「性的サービスを売る労働」=セックスワークであり、セックスワーカーの労働者
としての権利を確立していこうとする動きも現れてきている。それも一つの見地であろう。
強制売春、管理売春が違法であるのは明らかだが、被害者のいない売春である「単純売
春」について、その意味するところを考えてみる価値はある。
著者は、近世社会における買売春について、歴史的事実を探求することで買売春をなく
すことに役立つのではないかと思い、主として当時の裁判文書を資料として、その歴史、
遊郭の最上級の遊女=太夫(たゆう)から夜鷹(よたか)や惣嫁(そうか)の最底辺の街娼にい
たるまで、さまざまの名でよばれた売春婦(娼婦)たちの状況について研究した。
日本における買売春の成立は10世紀の初め頃だという。一対一の配偶関係が男女双方
の気の向く間だけ続くという穏やかな対偶婚の時代から、排他的、持続的、制度的な単婚
に移り変わる時代とともに売春は進行した。
性が制限される中で、性が代価を払っても手に入れる価値をもつ商品となったのだ。売
春の大衆化を支えたのは、貨幣経済の発展と都市・農村の階層分化の伸展であった。
娼婦にはさまざまの形があった。遊郭に閉じ込められた公娼が存在し、その周辺に酌取
女(しゃくとりおんな)、飯盛女(めしもりおんな)、茶立女(ちゃたておんな) 、茶汲女(ち
ゃくみおんな)などの準公娼がいた。
その他に、非公認の隠売女(かくしばいた)や、別の生業のかたわら自らの意思に基づい
て売春で小遣い銭を稼ぐ「売女がましき女たち」などが重層的に存在していた。
幕府は、倫理的観点から売春に対処したことは一度もなかった。公認の遊郭を一ヶ所に
集めたのは、風儀取り締まりの強化と治安の維持、それに冥加金の納入をねらってのこと
であった。
遊郭外の売女は取り締まりの対象にはなったが、そこで行われる売春については、あく
まで下女・奉公人として扱うことで一定公許し、その売春行為については黙認するという
態度をとった。
こうした公権力の対応が、下女・奉公人・女商人を隠れみのにした売春行為の盛行をも
たらしたといえるし、「飢渇之者」の単純売春を黙認するという幕府の対応は、たとえ現実
を反映したものであったとしても、「貧困女性の売春はやむなし」とする社会通念を広く行
き渡らせることとなった。
公権力は、金で売買される性を、「渡世」「奉公」の一つとして容認する一方で、婚姻外の
性愛については一律に「密通」として厳しく断罪する法制を確立した。いいかえれば、男女
の率直な恋情とそれに根ざした性は裁かれ、金で購われる性は是認された。
熊野比丘尼(びくに)は、もともと熊野信仰を負っている巫女で、牛王宝印や災難除けの
お守りを配布したり地獄極楽図の絵解きをしたりして熊野信仰伝播のために活動する存在
であったが、近世に入ると宗教者としての姿は薄らぎ、歌を歌い売色(売春)する姿が目立
つようになる。こうした、「売女がましき女たち」もあちこちに存在した。
さて、こうした近世における買売春の状況を知りえたことで、今後の買売春の防止に役
立てることができるであろうか。公権力は、倫理の面から防止しようとしたことは一度も
なかったし、そもそも刑事罰を重くすることで解決できないことは明らかとなった。
買売春の定義も難しい上に、個人の倫理にまで法が介入することが望ましくないのも事
実である。論理でなく倫理でしか対応できないのならば、個々人の自覚にまかせるしか方
法はないのか。私たちにつきつけられている依然として難しい課題である。
私には応用倫理学が無用になったとはとても思えないが…。
|
|
|
|
|
『娼婦と近世社会』
曽根ひろみ著
吉川弘文館
発行 2003年1月
本体価格 2,400円
|
|
|
|
|
|
筆者紹介 |
|
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
|
|
|
|
|
|