若田泰の本棚
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『趣味は読書。』
斎藤美奈子 著
 世に出回るベストセラーを見て、こんな本がなぜ売れるのか、だれが読むのかと苦々しく思っている人、つい著者の手の内に組み込まれて涙してしまったがそれでよかったのかと思っている人にとって本書は必ず面白い。

 また、ベストセラーなんて通俗的と決め込んで読むに値しないと思っている人は、本書を読むと、同好の士を得た思いで溜飲の下がる思いをすることだろう。そう、この本は、善良な読者ではなく邪悪な読者に向けた本なのである。

 「善良な」とは、他人から良いと薦められて読んだ本は、「ともかくよかった」と素直に感心する読者のことである。

 いったい、ベストセラーをつくるのはどの層なのか。「読書代行業」「読書探偵業」を自負する著者は、忙しい読者に変わって41冊の本を紹介し、なぜ売れたかを分析してくれる。著者はもちろん、邪悪な読者。

 五木寛之『大河の一滴』、石原慎太郎『老いてこそ人生』、日野原重明『生きかた上手』などはひとまとめにされて、かれらの辻説法、人生訓の御利益(ごりやく)に預かりたい読者の支払う本代はお布施のようなものであり、とすれば、御利益のありそうな本の著者は、ネームバリューないし経歴にすごみのある「往年のアイドル」が最適だと断じられる。大先生方も形無しである。

 こう書いてみてもちっとも面白くないだろう。本書の味は、くだけて軽妙な文体にある。そのことを知ってもらうには、実際の文章を見てもらうのが手っ取り早いだろう。

 そこで、少し長くなるが本書の一節を引用する。茨木のり子の詩集『倚りかからず』は、1999年朝日「天声人語」で絶賛されて十数万部売れた。その詩は以下のようなものだった。

もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない

  もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない

  もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない

  もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくはない

  ながく生きて/心底学んだのはそれくらい

  じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて

  なに不都合のことやある

  倚りかかるとすれば

  それは/椅子の背もたれだけ

さて、本書である。

「相当にヤな詩だよ。っていうか私たち凡人は、もともとどんな〈思想〉にも〈宗教〉にも〈学問〉にも〈倚りかか〉ってなどいないのだ。「倚りかか」ろうにも、ハハハ、学んでないんだから。それなのに自らの不勉強を棚に上げ、〈できあいの〉というマジックワードで人類の英知を根こそぎ否定し、〈もはや〉のリフレインで、さもそれが「試行錯誤の末に到達した心境」であるかのように粉飾し、さらには〈長く生き〉たのを楯に〈なに不都合のことやある〉とか開き直ってんのがこの詩なわけよ。ったくもう。ありがたすぎるぞ、怠け者には。

 いや、誤解のないようにいいなおそう。詩人は何を書こうとかまわないのである。そこらの読者がこの詩にまんまと〈倚りかか〉るのが、イヤなわけ。だって考えてもごらんなさい。中高年がみんなこの詩に感化され、〈なに不都合のことやある〉とばかり好奇心も向学心も放棄したら、あるいは〈格別支障もない〉とかいって電子機器を拒否したら、どうなるか。ぼけるぞ、そのうち。で、結局、家族に〈倚りかかる〉ことになるんだから。」

 第1回小林秀雄賞はもらえても、ベストセラー作家にはなれない著者のひがみも見え隠れするが、著者は何にでもケチをつけるひねくれた評論家ではない。

 患者の目線でハンセン病研究をまとめた藤野豊『いのちの近代史』を朝日新聞書評で絶賛したのも著者なのだ。この次は是非、「批評の神様」小林秀雄をこんな調子で形無しにしてほしいものである。
趣味は読書。
『趣味は読書。』
斎藤美奈子 著
平凡社
発行 2003年1月
本体価格 1429円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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