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『中国反逆者列伝』
新井利明 著
 4千年の歴史を持つといわれる中国には、古代から現在に至るまで多くの反逆者がいた。本書で著者が取り上げたのは、秦末期の農民反乱の指導者、陳勝・呉広から毛沢東や林彪に至るまでの16人である。

 歴史を押し進めたもの、押しとどめたものがまじりあう玉石混淆、思想を曲げず多くの民に殉じたものから、わがままややけっぱちで賭けに出たものなどさまざまである。善悪の判断はさて置いても、本書で歴史に名を残した人たちの大胆な生きざまを追い、中国の歴史を通観できることが何より楽しい。中国の歴史に詳しくない人も、中国の歴史に興味を抱きはじめるきっかけにもなりうる魅力的な書物である。

 宮刑に処せられても『史記』を編みつづけた司馬遷、前漢を滅ぼして15年間だけ天下をとった王莽(もう)、楊貴妃を死に追いやった安禄山、死を覚悟して皇帝を諌めた明の「清官」海瑞(かいずい)などそれぞれに面白いが、やはり私の興味は、孫文や張学良をはじめとする清朝末期から現在にいたる人々の項に集中する。

 文芸理論家だった胡風は、毛沢東の文芸思想に頭を下げなかったために、反革命分子として長い獄中生活を送らねばならなかった。1951年、映画『武訓伝』を、封建社会と闘争していないとやり玉に挙げた毛沢東は、作家たちの思想改造をもくろんで次々と批判をエスカレートさせた。

 胡風は毛沢東を尊敬していたが、自分の文芸理論に自信を持ち、毛沢東の文芸理論を受け入れなかった。毛沢東が作品の客観的な効果を重視したのに対し、胡風は作家の主体的な意識を強調した。それが批判されたのである。

 胡風は、1955年、やむをえず「私の自己批判」を書いたが、胡風への批判は「反党集団」から「反革命集団」に「格上げ」され、逮捕される。以後、実に1979年までの25年間、獄につながれることとなった。1985年、82歳で死去。

 多くの作家や友人たちは、胡風を批判する側に回った。批判しなければ自分が批判されることになる。後に、巴金は「胡風を偲ぶ」という文書でこう書いている。

「あの当時ときたら、つぎつぎに運動が起こり、相次ぐ大小の集会で一人ひとり関門を通過しなければならなかった。・…あれらの“闘争”や“運動”のことを考えると、自分の演技(よしんばやむを得ざるものだったにもせよ)に対して吐き気を催し、恥ずかしくなる。三十年前に書いたああしたことばを読み返してみて、私はやはり自分を許せないし、時代に許してもらおうとも思わぬ。」

 胡風の追悼会で、別の友人は発言した。「抽象的な党というものに対して、常に無限の信頼をおき、人を苦しめているのはセクトだと考えていた。・…われわれ一人ひとりが真剣に再検討してみるべきだ。・…中国では、われわれのような人間が、他の多くの人とともに、愚かさと奴隷根性の基盤を作ってきたのだ。」

 著者はあとがきに記している。「反逆者に不可欠な要素は、権力や権威を相対的なものとしてとらえる姿勢であり、自己が帰属する組織や集団との間に距離を保つことができる精神のあり様である」と。

 こうした精神のあり様は、わたしたちが、過去の歴史から学んできたことではなかったか。すなわち、このことは反逆者の条件であるのではなく、私たちそれぞれのあるべきよりよい生き方として、心すべきものなのだと思う。

 反逆者と呼ばれるかどうかは結果であり、反逆者をめざす必要はないけれども、反逆者の烙印を恐れる必要もないのだと思う。
中国反逆者列伝
『中国反逆者列伝』
新井利明 著
平凡社新書
発行 2002年11月
本体価格 720円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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