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『わが朝鮮総連の罪と罰』
韓光熙 著
 瀋陽日本領事館への脱北者の駆け込み事件があったのが2002年5月8日、日本人拉致被害者が帰国したのが秋のことである。本書は、2002年4月の刊行であるから、そうした事件が起こる前に世に出た。

 著者は、朝鮮総連元幹部、中央本部宣伝局指導員を経て財政局副部長を務めた。日本海沿岸に北朝鮮工作船の「接岸ポイント」を作り、秘密社「学習組」では多くの若者を金日成・正日思想で洗脳し、韓国から日本に来ている学生をオルグして北朝鮮に送り込むなどさまざまの対韓国スパイ工作を行なった。また、パチンコや「地上げ」で稼いだ金を総連の裏金とし、秘密裏に「北」へ送金してきた。本書はその生々しい告白の記録である。

 両親は南朝鮮の地方の出身で、1940年頃来日。著者は日本で生まれ育った。「いま、朝鮮はアメリカ帝国主義と闘っている。南朝鮮の李承晩は悪いヤツだ。・…その李承晩と闘っているのが北朝鮮の金日成将軍だ。だから、我々在日は一生懸命金日成将軍を応援すべきだ」と子どもの頃から教えられた。

 総連の前身は1945年に在日朝鮮人の権益擁護団体としてできた朝連(在日朝鮮人連盟)である。急速に左傾化の傾向を強めた朝連は、日本政府によっていったんは強制解散させられたが、1955年に朝鮮総連として復活した。1959年8月、カルカッタで、北朝鮮の赤十字会と日本の赤十字会が協定を結び、在日朝鮮人の帰国への道が開けた。以後、67年までに10万人以上が「地上の楽園」との夢を持って帰国した。

 帰国する友人を、新鮮な気持ちで見送った高校生のとき以来、総連専従としてどれほどの人を帰国させたことだろう。総連青年同盟活動家にとって最大の勲章は、同胞を説得して北朝鮮に帰国させることであった。

 1961年20歳のとき、朝鮮労働党員となり「学習組」に配属される。「学習組の特殊任務とは、日本と北朝鮮とのあいだを極秘に往復する北朝鮮工作船の、日本側における着岸拠点(『接岸ポイント』)をつくることであった」「その目的は、第一に、北朝鮮を出国した人間を極秘に日本に入国させることであり、極秘に(日本を)出国した人間を北朝鮮に運ぶことである」「工作船はその船内に小型の子船を内蔵し、ある程度沿岸に近づくとこれを吐き出す。日本の漁船に偽装した小型船は、海岸数十メートルのところで停泊する。北朝鮮の工作員はその子船からゴムボートか水中スクーターをおろし、日本上陸を果たすという寸法である。着岸地点では、北朝鮮の工作員を出迎える案内役が待っている」

 これはもう、日本人を拉致したシステムと同じである。著者は、語っていないが、拉致問題についても知っている可能性がある。そうした「接岸ポイント」は、著者が開発したのが38ヶ所、現在日本国内におそらく100ヶ所以上あるだろうという。

 驚くべきは、北朝鮮の対外的に演出された国家ぐるみの管理支配システムである。外国へ流される映像は、「北朝鮮の周到な演出努力の成果である。・…外国からの訪問客が通る(ときには)・…平壌の市民が総掛かりで演出に加わることになる。・…彼らの乗る車が何時何分にそこを通るはずだという、念入りな計算の上でそうしているのである。」「偶然やハプニングは存在しない」

 1987年大韓航空機爆破事件の頃から、著者は心中にわだかまりを感じるようになる。そして、総連の有力幹部許宗萬との大喧嘩の結果、幹部を外され総連を離れる。著者を動かしたのは、「同胞」のために自分がやらなければならないという使命感と、「同胞」のための総連をここまで腐敗させてしまったという贖罪意識であった。

 当事者の発言だけに真実味に溢れている。それにしても、なんとした国、なんとした組織であることか。関係者はもうひとつ勇気をふりしぼって、拉致問題についても語る責任があると思う。
わが朝鮮総連の罪と罰
『わが朝鮮総連の罪と罰』
韓光熙 著
文芸春秋社
発行 2002年4月
本体価格 1,524円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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