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『秘の思想 日本文化のオモテとウラ』
柳父章(やなぶあきら)著
 本書は、日本文化論である。著者は、翻訳論を専攻し比較文化論を研究する中で、ユニークな日本文化論にたどり着いた。

 世阿弥は、「秘」することが「花」であるとした。「秘」するから「美」がつくられるのであって、「秘」を「顕(あらわ)せば」なんということもないといった。こうして、日本独自の芸術論として、「秘」の文化が体系化され、それまでもあった「秘」を重んじる思想が、一層、推し進められることになった。

 弥生時代にみられる銅鐸は、用途が不明で、祭具か呪物ではないかといわれている。中国や朝鮮から伝わった青銅の金属製品のうち、剣や矛と違って用途の分からない銅鐸の原型を見て、弥生人はそのコピーを作った。

 とにかく先進文化はありがたい。用途や意味がわからなければなおありがたい。そう思って、大型の銅鐸を大量に生産した過程は、舶来品をありがたく受け取り、次に、一見ありがたそうな「秘」をつくりだす典型的な過程ではなかったかと著者は言う。

 仏教の伝来についても、同じことがいえる。仏教の内容は当時だれも理解できなかった。仏教にまつわる蘇我氏と物部氏との争いは、鉄の槌でたたいてもこわれなかった仏像に驚嘆して信仰するか、疫病が流行したのを仏教信仰のせいにするかの違いであった。

 どちらも、未知のものは大事なものであると認識する思考過程は共通していた。ここにも、「秘」の文化がみられるという。

「秘」の文化を決定づけたのは中国の言葉との出会いだった。未知な言葉であった漢字は、ともかく高級な文明の言葉だった。その意味は十分に理解はできなかったけれども取り入れ、国の名前は「日本」となり、主権者の名前は「天皇」という漢字になった。

 漢字の元の意味はわからず、未知、不可解を閉じ込めたまま使用し、それはやがて、日本語でものを考える私たちの思考の構造となったという。

 大事な意味は、表現された形の向こうに隠されている。隠された意味を明瞭に知ることはできなくても、なんとなく予感はできる。こうして、「予感される秘」が現れる。ついで、「予感される秘」を期待して、「隠された表現」が使われるようになる。

 これが世阿弥の言った「花」であり、この「秘」の極意は、能などの芸術においてだけでなく、天皇にまつわるさまざまの儀式においても使われた。

 なるほど、能の『安宅(あたか)』や歌舞伎『勧進帳』での弁慶と富樫との関係にみられるのは、オモテよりウラが大事、阿吽(あうん)の呼吸、腹芸で、これらもすべて、「秘」の思想ということかと、私は納得する。

 古典に詳しい著者は、古事記や万葉集を取り上げて例証を試みるだけでなく、平安時代の密教から、サンスクリット語(梵字梵語)の由来についても述べる。さらに、武士社会で迫害されたキリシタンや日本の部落差別についても論を進める。

 未知なる異教を重んじる思想が一方でキリシタンを生み、他方で恐怖を感じる弾圧者を生んだ。また、「秘」の閉鎖的な社会は内部に差別をつくりあげるものだともいう。すべてを十分に紹介できないが、多くの文化が「秘」と結びつくのは驚きだ。

 私は、未知のものを崇拝する「秘」には功罪があったことを思う。日本独自の伝統文化を保存したのは功だろう。しかし、それらは少数者の独占となり、家元制度や世襲制を残した。そうした慣習の容認は、社会の不合理を見逃し、正と不正をあいまいなものにする結果を生んだ。

 さらに、あいまいな態度のまま時流に乗る日本の国民性を生み、ベールに蔽われた「権威」を崇拝する土壌を生んだ。文化の土壌はすぐには変えられないけれど、これだけは言ってもいいだろう。

「秘」の思想のもとに、理不尽な差別や天皇を始めとした特権層の存在を、日本文化の特性にからめて温存することは、もう止めにすべきではないか。
秘の思想 日本文化のオモテとウラ
『秘の思想 日本文化のオモテとウラ』
柳父章(やなぶあきら)著
法政大学出版局
発行 2002年11月
本体価格 2,500円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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