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『裁判官はなぜ誤るのか』
秋山賢三著
 冤罪は今もあとをたたない。それは何故なのか。裁判官として24年、その後、弁護士に転じて10年を経た著者は、裁判のあり方について考えることが多かった。

 その間、とくに関わった冤罪事件が、「徳島ラジオ商殺し事件」、「袴田再審請求事件」そして「長崎(痴漢冤罪)事件」である。著者は、それらをふりかえりながら、今の裁判制度にひそむ問題点を指摘し、改善点について提言した。

 冤罪を生む背景は複合的だが、裁判官に限ってみれば、ひとつには、その「壇の高さ」、つまり閉鎖的な官舎住まいなどの生活スタイル、友人との付き合いや生活の幅の狭さにある。エリートコースを歩み、「保護」された生活の中で、被告の立場に立って被告の言い分に耳を貸そうとする姿勢が失われていることによる。

 告訴された99.9%が有罪という環境の中で、常時300件を担当するという過重な負担にさらされて、速く実務をこなすことに慣らされすぎ、官僚化されてしまった。そうさせたのは、構造的な司法のシステムで、それは、1967年ころの青年法律家協会への攻撃から強まった。

 法律関係者の自主的な勉強会であった青法協への攻撃は、右翼ジャーナリズム「全貌」が裁判官会員の名簿を公表し、「偏向団体である青法協から脱会する意思はないのか」と脅しをかけることからはじまった。

 どんな事件でも、権力側の役割分担はできているもので、それに応じて上級や所属所長からは脱会勧告がなされ、厳しい勤務評定にさらされるようになった。「司法反動」の攻勢である。これにより、裁判官の「団体加入の自由」制約の論理がまかり通り、裁判官たちは、いよいよ、思想統制され官僚化されることとなった。

 「徳島ラジオ商殺し事件」で、1956年、富士茂子さんは、夫殺しの罪状で懲役13年を宣告された。裁判に失望して控訴を取り下げ刑に服したが、出獄後、「真犯人をみつけてやる」と再審請求に乗り出す。あとで、裁判記録を見てみると、たいした難事件でもなく、有罪となったのが不思議なくらいだ。

 店員が証言した「川に投棄した」という包丁が見つかっていない(その店員は、後に、偽証であったと告白するが、検察は、再審になることをきらって偽証告訴しない)。驚くべきことに、第5次再審請求ではじめて開示された地検の不提出記録で、死体のあったシーツの上の靴跡の写真が存在していることが明らかとなったのだ。外部犯であった。考えてみれば、殺害時、夫と格闘したとされる茂子さんに、左脇腹の擦過傷が一ヶ所あっただけということにも、疑問をもつべきであった。

 検察の作ったシナリオは、やすやすと裁判官の目をすり抜けてしまった。予断と偏見が冤罪をつくりあげるカラクリだ。茂子さんの再審が認められたのは、第6次請求のときで、1980年、その前年茂子さんは死亡していた。

 常識をもって少し考えれば、検察側の言い分に疑問をもつべきところのものを、そのまま信用して有罪判決を下すとは、恐ろしいことだ。これは、検察官と裁判官という国家の官僚集団がうちたてた解釈により裁判が運営されていることを意味している。

 今の裁判は、「合理的な疑いを超える程度の証明」によって有罪と無罪が仕分けされている。それは、被告の人権という点で考えると、問題ではないか。「無辜(むこ)の不処罰」(無実の者は決して処罰されてはならない)を被告人の人権問題としてとらえるような枠組みに変えなければならないと著者は言う。市民が参加する開かれた裁判員制度が期待される所以である。

 松川事件の被告は、裁判官が「真実は神のみぞ知る」といったとき、「ちがう、真実は被告である自分が知っている」といったそうだ。誰でもが遭遇し得る可能性のある冤罪は、被疑者の人権擁護の立場から、なんとしても防がなければならない。
裁判官はなぜ誤るのか
『裁判官はなぜ誤るのか』
秋山賢三著
岩波新書
発行 2002年10月 本体価格 700円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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