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『反骨のジャーナリスト』
鎌田慧著
 戦渦を生きのびたマスメディアは、国家総動員法下とはいえ、戦争を鼓吹した責任をどのようにとり、今の活動に生かしているのか。今のマスメディアを見渡しても、はっきりとアメリカのイラク攻撃に反対しているものは見あたらない。先のアメリカのアフガン攻撃のときも、国内に目をやれば医療改悪についても然り。有事立法も小選挙区制も消費税においても、ただただ、中立のふりをして数々の悪法を許してきた。

 フリーのルポライターとして活躍する著者は、今を生きるジャーナリストたちを叱咤激励すべく、明治以降の反骨ジャーナリスト10人をとりあげた。

 独立不羈(ふき)の覚悟・陸羯南(くがかつなん)、ルポルタージュの先覚・横山源之助、元始、女性は太陽であった・平塚らいてう、自由への疾走・大杉栄、過激にして愛嬌あり・宮武外骨、関東防空大演習を嗤(わら)う・桐生悠々、国家よりはるか遠くに・尾崎秀実、不屈の“弱者”・鈴木東民、北の地にたいまつを掲げて・むのたけじ、生涯一記者・斎藤茂男の10人で、これらはいずれも、各章の見出しになっている。

 横山源之助が活躍したのは、明治の半ば、日清戦争の頃、富国強兵の政策下で資本主義が急成長を遂げて強国の列に追いついているかにみえた時代に、日雇い労働者たちと蒲団をならべ、下町の貧民街を足をかぎりに踏査して、多くの庶民たちの実状を告発した。

 彼は、出生地である魚津に米騒動の起こる3年前、世のうねりの動きを知ることなく44歳で死亡した。その著『日本の下層社会』が岩波文庫に収められたのは没後34年たった1949年(昭和24)のことであった。この著は、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』に匹敵するものといわれている。底辺社会の告発者、横山源之助は、労働者の人権の拡大にその生涯を費やしたのだった。

 桐生悠々は「信濃毎日新聞」の主筆であった1933年(昭和8)に、『関東防空大演習を嗤う』を書いて、軍部の愚鈍さを痛烈に批判した。

「将来若し敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、・…我機の総動員によって、敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落とすこと能(あた)わず、その中の二、三のものは、自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろう・…この討ち(ママ)漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に焼土(ママ)たらしめるだろう・…投下された爆弾が火災を起す以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろう」 

 悠々は、軍の圧力により退社に追い込まれることになったが、彼が想像した悲惨は、12年後に、大空襲として現実のものとなった。

 そして彼は語る。「私は言いたいことを言っているのではない。・・言わねばならないことを、国民として、特に、この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。」 

 ジャーナリストとしてのあり方として肝に銘じておくべき含蓄に富む言葉ではなかろうか。

 気骨あるジャーナリストたちの生きざまをたどりつつ思う。著者も言っているが、そもそも反骨でないジャーナリストなどジャーナリストたる資格があるのであろうか。政府のスポークスマンになりさがった記者たちや、発行部数や視聴率ばかりに気をとられ本来の使命を忘れかけているオピニオンリーダーたちは、本書を熟読して先達に習い、是非とも本来のジャーナリストとしての使命を果たしてほしいものである。

 さまざまの弾圧に屈せず闘いつつ、「陋巷(ろうこう)の窮死」や非業の死をよぎなくされた先達たちの存在を今に生かす努力を、私たちは惜しんではならない。
反骨のジャーナリスト
『反骨のジャーナリスト』
鎌田慧著
岩波新書
発行 2002年10月 本体価格 740円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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