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『テロリズムと日常性 「9・11」と「世なおし」68年』
加藤周一、凡人会著
 一昨年9月11日のアメリカ無差別テロ以後、冷戦終焉後の世界の権力地図が明らかになってきたように見える。唯一の超大国となったアメリカは、アフガニスタンへの攻撃につづいて、イラクや北朝鮮に対しても好戦的態度をとりつづけている。

 以前にも本欄(『「戦争と知識人」を読む』青木書店(1999))でとりあげた加藤周一と凡人会の勉強会はまだ続いていて、本書は2作目である。

 1968年に加藤周一が著わした『世なおし事はじめ』を読書会でとりあげていた凡人会は、「9・11」との連関を感じて本書にまとめあげた。本書には、その『世なおし事はじめ』と会員のレポート、それに加藤周一の解説がインタビュー形式で載せられている。

「68年」とは、アメリカではベトナム反戦運動が、日本では「学園紛争」が吹き荒れた年である。『世なおし事はじめ』では、それらの学生運動を「自己の特権の放棄、他者の権利の拡大をもとめる抗議の運動」と定義している。加藤は語る。「『68年』の学生たちは、自分の個人的な『特権』の放棄だけではなくて、社会的な構造上の『特権』を批判した。その『特権』を生み出す構造とは『軍産学複合体』で、それを解体させようとした」と。

 一方、今日の政治・軍事・経済の非対称状況で、アメリカが第三地域に圧力を加えると、それに抵抗するには、唯一の手段としてテロしかない。こういう状況下で「アメリカテロ」は起こった。「アメリカテロ」の背景に、「南北格差」があり、テロの根絶には「南北格差の問題を解決するしかない」のであれば、解決方法は、「北」側の特権の放棄と「南」の権利の拡大しかないのではないか。

 すなわち、「68年」に提起されたと同様、みずからの「特権」を放棄し、日常性を拒むことが求められているのではないかという。「9・11」と「68年」との連関とはこのようなものである。

 加藤周一のアメリカ批判は手厳しい。イラクを攻撃しようとするのは、名目とは別に石油の利権と深い関わりがあるといい、また、世界の歴史を「進歩」させてきたと考えている米国の思い上がりを過去にさかのぼって説明する。

「68年」当時、「反戦運動が盛んになるにつれて、連邦政府の頭を悩ませていたのは、ヴェトナム戦争の正当化です。政府の常套句の一つは、“体制は機能している”でした。ここには、米国の体制には、復元力があって、たとえまちがいがあっても、長い目でみれば、必ず上手くいくというゆるがぬ確信がある。…(略)…だから、もし誤りが発見されても、それは体制の「全体」が悪いということにはならない。政府は、ヴェトナム戦争の誤りは、体制全体を問い直すような問題ではなく、一つの事故で、いわば自動車事故のようなものにすぎないという『事故説』をとった。」 そうしたアメリカの「伝統」は今もゆるいでいない。一連のアメリカの行動を理解する鍵は、この「進歩の神話」であるといい、私もそれに同感する。

 しかし、「9・11」に比べると枝葉にすぎる蛇足ながら、反「全共闘」の立場で、「68年」学生運動を体験した私には、本書に記載されている「新左翼」の見方は、少し好意的すぎるように思う。私の目には、本書でも指摘している「もちろんそこには、つまらぬ好奇心、附和雷同、英雄気取り、頑固な妄想、誤った情報判断や策略、の多くがあるにちがいない」学生ばかりが目立った。

 彼らの多くは、「自分たちがやっていることがどういう結果を及ぼすかを考え」ずに、「その瞬間瞬間に『生き甲斐』を感じて満ち足り」、卒業とともに、体制のなかに「生き甲斐」をみつけて学生時代の「思想」を中絶させた。私は、いまも、日本の「68年」学生運動については、あらためて検証し直す必要性を感じている。
テロリズムと日常性
『テロリズムと日常性 「9・11」と「世なおし」68年』
加藤周一、凡人会著
青木書店
発行 2002年10月 本体価格 2,200円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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