若田泰の本棚
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『中国映画 百年を描く、百年を読む』
藤井省三 著
 著者は、近現代中国文学研究家だが、すでに『中国映画を読む本』(朝日新聞社1996)の著書がある。14本はその引き写しだが、あらたに27本の作品を加えて41本の映画について論述している。

 著者の映画評の優れているのは、作品の背後にある原作や監督について、また、描かれている物語の時代背景や中国共産党のその時の政策について実に詳しいことで、単に画面にうつる自然の雄大さや見せかけの叙情性に流されない深い洞察があることである。

 その上、著者の視点は明確である。例えば、「人民公社」を中心とした農業に転換させようとした「大躍進政策」は国家による農奴制であったとし、文化大革命は、その「大躍進政策」の失敗で1500万から4000万といわれる餓死者をだした毛沢東が、劉少奇から権力を奪い返すために引き起こした権力闘争であったとみる。

 その間、文化政策としては、中国共産党を賛美する「毛文体」が文学にも映画にも強制されていたとし、1976年毛沢東の死と四人組の逮捕で文化大革命は終ったが、1989年の「血の日曜日事件(または第二次天安門事件)」以後も「毛文体」は完全には払拭されていないとも指摘する。

 そのため、文革後に活躍する第5世代といわれる張芸謀(チャン・イーモウ)(『紅いコーリャン』『活きる』『初恋のきた道』)、陳凱歌(チェン・カイコー)(『黄色い大地』『さらば、わが愛 覇王別姫』)、田壮壮(テイエン・チュアンチュアン)(『盗馬賊』『青い凧』)の作品も、上映禁止を食らったり、検閲をおそれてか、ハリウッド風の商業化の傾向を帯びたりする。

『さらば、わが愛 覇王別姫』(1993年)は、原作の文革批判を後退させて、同性愛というエンターテインメントに改編していると指摘し、『初恋のきた道』(2000年)は、「公害で汚染された現代の大都市民にとって、農村はロマンティックな空想をかき立てるではあろうが、共産党が農民を搾取し大量餓死させた過去、このような農村の犠牲の上にあぐらをかいた都市民が今も特権を享受している事実から目を逸らせようとしている」と批判する。

 また、昨年日本で好評だった『山の郵便配達』(1999年)は、「90年代の高度経済成長から取り残された農村の現実に目をそらせたまま、大自然や少数民族、女性などの産業化社会の男性支配体制において周縁的な存在に対し、強権支配を貫徹し続けたい中国共産党の欲望を投影したものでないか」という。素直に感動したファンには水を差されるようではあるが、これが中国への正確な分析なのだろうと思う。

 著者が絶賛する『青い凧』(1993年)は、私も第一に推したい文革を批判した秀作だ。著者の評を読みながら、私も共感しつつ思い出す。

 スターリンの死を仲間たちが哀悼する中ソ蜜月時代(1960年まで)や、社会主義形式ともいうべき質素な両親の結婚式、それらは、新しい社会主義の理想を心から信じていた時代だった。「百家争鳴、百花斉放」から一転しての「反右派闘争」の陰謀、そして文化大革命の時代に入る。里帰りした母の実家にはさまざまの兄弟姉妹たちがいた。

 母の兄の恋人は党高級幹部から関係を持つことを拒んだゆえに牢獄へ繋がれ、母は召し使いのような立場で高官の後妻となったが、その夫も粛清される。この変転の間、一貫してどの家の部屋の壁にも毛沢東の写真が飾られたままであった。母にとって3人の夫をことごとく死に追いやった張本人であった毛沢東の写真が・・。

 1993年『青い凧』が東京国際映画祭に出品されたところ、中国代表団が「政府の許可を得ていない」という理由で抗議し、ボイコットして帰国するという事件があった。『青い凧』は中国国内での上映を禁止され、田壮壮は3年間の製作禁止処分を受けたらしい。

 本書は、中国映画についてだけでなく、中国国内の政治・社会・経済の近現代史を学べる書物でもある。
中国映画
『中国映画 百年を描く、百年を読む』
藤井省三 著
岩波書店
発行 2002年7月 本体価格 2500円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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