若田泰の本棚
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『アカ』
川上徹 著
 著者は60年安保から72年までの大学紛争の時期、全学連委員長や民青幹部という政治運動の中心にいたが、1972年、生涯をささげるつもりでいた日本共産党中央から突然「新日和見主義」として批判された。それから25年、ようやく心の整理ができて離党し、より自由な立場でものごとを考えられるようになった。

 著者の父は、治安維持法下の1933年に起きた「長野県教員赤化事件」に連座していた。「長野県教員赤化事件」とは、教育労働者組合(教労)長野支部の組合員と、彼らの学習と啓蒙のための雑誌として使われた「新興教育」の読者網が弾圧された事件である。

 著者は、そのことをうすうすは知っていたが、深い関心を寄せぬまま時を過ごしていた。ところが著者自身の境遇が変わったことで、父の過去にも関心が向く。もっとよく知りたいと思ったが、その父は既にいない。

 事件から65年経った1998年、病床にある呆けた母宛ての封書を目にした著者は、もしかして父の当時の教え子からのものではないかと思った。なにか当時のことを聞き出せるかもしれない。関係者の多くが鬼籍に入った今、急がなければいけないという思いに駆られて、調査と聞き取りをはじめた。

 著者の断片的な思い出が、追跡の中で明らかになる事実と結び合わされる。純白のパラソルをさした女性が、家の前で遊んでいた幼い自分に話しかけてきたこと、三十数年ぶりに訪ねてきた友人と父が夜を徹して酒を飲みながら語らっていたこと、そのとき、友人が「一瞬、寂しいような、人を底へ引き込むような暗い表情をみせ」たこと、それらが一つに繋がる。

 本書を読み進めるうちに、この事件の内容も少しずつ分かってくる。しかし、著者が描こうとしたのは、事件の全貌ではなく、事件に関連した「アカ」とよばれた人たちが、どのようにして事件に関わり、戦後の生き方にどんな影響を与えたのかということであった。それを知ることは父を理解する上でも役立つはずだった。

 事件に関わった人の中には、「マルクス主義」を勉強していたものもいたが、多くは、アララギ派の短歌会に出入りする文学青年であったり、弁当を持ってこ来られない生徒の貧困に心を痛めている女性教師だったり、すばらしい授業を行なう先輩教師への尊敬から読書会に参加している人などいろいろだった。

 それらの教師がある日突然検挙され、多くのものは職場を奪われた。釈放された後、ある人は、「転向」の引け目を終生感じ、またある人は、弾圧をうけるほど「思想」の中身を知らなかったことを後悔し、「不燃焼感」を感じた。そして、それぞれの後半生を送ったのだった。父も、「不燃焼感」を処すべく、生涯、教育に情熱を注いだ一人だった。

 父は、生存中になぜ語らなかったのか。それは自分が語らせなかったのではないかと著者は思う。「運動の前進こそが大切であり、小異より大異を論じるべきである」という考えで突き進んでいた著者に、「転向者」「日和見分子」としてしか理解されないだろうと父は思ったのではないか。今になってやっと、自分と重ね合わせて父親や事件に関わった人たちを見る視点が開けた。

 「転向」か「非転向」かに価値を置く見方から、より深く個々人の「遠い動機」や「後ろめたさ」「不燃焼感」に思いを馳せることができるようになったからだ。「運動の前進」という面からでなく、精神の葛藤の構造にまでも目を配る余裕ができたからこそ、本書が生まれた。本書を編むための旅は、父の生きざまを追いつつ、実は自分史を綴る旅でもあった。

 当時と今とでは、「社会主義」の見方も大きく変わってはいる。しかし、いつの時代も、今ある自分が、自分の頭で考えて時代を切り開く役割を果たすことが求められていると思う。
アカ
『アカ』
川上徹 著
筑摩書房
発行 2002年2月 本体価格 1900円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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