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『リビング・ウイルと尊厳死』
福本博文 著
 「安楽死」にまつわる医療事故は、忘れかけた頃に刑事事件の様相を帯びて報じられる。死は、現実にはありふれた出来事であり、身近な死に関わった人はあまたいるはずなのに、そんなときあらためて、人は死について考える。みずからは「尊厳死」を希望するという人が増えているけれども、新聞記事になる「安楽死」事件は、いつも遺族からの異議や内部告発に端を発している。「安楽死」は、たしかに微妙で複雑な問題を秘めている。

 本書は、「安楽死・尊厳死」の周辺にある諸所の問題について、読者が考えやすいように問題点を整理してくれたものである。著者は、「尊厳死」に賛成とも反対とも言っていないし、今後の解決法も明示してはいない。「尊厳死協会」のいう「リビング・ウイル」に署名しておけばことが解決するというのにも懐疑的だし、人為的に一個の生命を縮めることを無下に否定しているわけでもない。むしろ、「法制化」や書面の整備、画一化によって「安楽死・尊厳死」問題が解決するという安易な考え方を戒めているようである。

 ここでいう「安楽死・尊厳死」は、ナチスによって障害者やユダヤ人の抹殺に利用された「安楽死」と本当に無関係なのか。大量虐殺の根底には確かに優生思想があったが、優生思想はナチスにだけ固有のものではなく、当時多くの国の進歩的な思想の中に芽生えていたものであった。

 戦後日本でも、「死ぬ権利を認めよ」という主張が生まれた。日本の「安楽死協会」の初代会長は、太田リングという避妊具で名高い太田典礼であった。かれは、戦争に反対して獄につながれたような革新思想の持ち主でありながら、戦後の「優生保護法」制定を推進する中心人物でもあった。優生思想の持ち主の説く「安楽死」は広く受け入れられるものにはならなかった。

 医学の進歩の中で、「生かされている」という状態の人を多く見るにつけ、1983年に名称を変えた「尊厳死協会」は一定、勢力を広げることになる。そこでも、何を一致点にするかが難しかった。「積極的安楽死を認めよ!」というのは、自殺幇助を罰するなということである。これではなかなか国民的合意が難しい。結局、落ち着いた先は、「リビング・ウイル」の立法化ということになったが、まだ法制化はされていない。

 消極的安楽死は、家族と医師との“あうんの呼吸”のもとに日常的に行われているものならば(これも危ない綱渡りで大いに問題を含む)、なにも事を荒立てなくてもいいのではという意見もあろう。しかし、そこには、本人の意志とは別に、介護者の時間的・身体的・経済的負担の問題が関わっていないともいいきれない。

 また、「リビング・ウイル」にあらゆる状態を想定して事細かに希望する処置を記載しておくわけにもいかない。「リビング・ウイル」に記載されていたからといって、医療者はどこまで死を早めるのに手を貸すことができるのか。「リビング・ウイル」を法制化するにしても、その前段階に欠けている多くのことがあるように思う。

 現時点でも、次のようなことはいえるのではないか。必要なのは死をタブー視せずに、日常的に考え話し合っておくことである。信頼関係の中で、一番の理解者が患者の希望を代弁して対応を決める。決して、医師が独断で決めてはいけない。また、その場合、医療に関わる費用負担や介護の負担は全くないという前提条件が必要だろう。そこではじめて、「自己決定権」を認めたうえでどうするかという議論がはじまるのであろう。

 ところが、今の政策は、そうした環境とは程遠い。結局、真の「自己決定権」を重視しようという議論は、そのまえの諸条件の不備によってつぶされてしまうのである。それでも私たちは、医療保障制度の改善は求めつつも、死についての論議を同時に進めておくことが必要だろう。
リビング・ウイルと尊厳死
『リビング・ウイルと尊厳死』
福本博文 著
集英社新書
発行 2002年2月 本体価格 660円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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