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『中年シングル生活』
関川夏央 著
 本欄で関川夏央の著書を取り上げるのは3度目である。少しかぶれ過ぎたかという引け目も感じないではないが、はやる気持ちは抑え難い。以前このコーナーで『石ころだって役に立つ』(集英社)について「文句なしに面白い書物だ」と書いた。本書は、それを上回る面白さだから、取り上げないわけにはいかない。

 本書は、シングル生活の実状を書いたエッセイ集である。著者の部屋は、幾重にも「地層をなした」書籍の山に埋もれ、「けものみち」を何とか歩けるといった具合の散らかり様、生活は単純単調で、「読む、昼寝する、考える、昼寝する、書く、昼寝する」の毎日。

 しかし、気のおけない、同じような男女のシングルの友人が大勢いて、気楽に電話でおしゃべりしたり、デートをしたりしている。その会話の中身がすこぶる高尚であり、その人の生き方の根本に触れるような話題が多いのである。

 末尾に、阿川佐和子との対談が掲載されてあり、高尚で楽しいお喋りの一コマが垣間見られる。そこの会話で、本書に書かれてあることはすべてフィクションだと、著者は冗談めかして語っている。脚色はあっても、嘘を書いているとは思えない。偽善家ぶることも偽悪家ぶることもない自然体の叙述が、読者に興味を持って読まれるゆえんだろう。

 今シングル生活を送っている人はもちろん、そうでない人にとっても有意義な本だと思う。私は、今後シングル生活になる可能性をもつ者として、興味深く読んだ。ひとり暮らしもそれなりに楽しそうで、いいものだなと思う。私もそうなったとき、こんな風に楽しく過ごせるかもしれないという希望も湧いてくる。しかし、その時、老いぼれてほうほうの体で生きているのがやっとという状態ならば、こんな風にはいかないかもという懸念はもちつつ・・。

 著者は、『石ころだって役に立つ』に登場した妻との1年たらずの結婚生活以後、ずっとシングル生活を送っている。本書の最初の章「春は小石さえあたたかい」でも、別れた妻の話しに触れている。ここでは、バックの情景・音楽は、ジェルソミーナの映画ではない。やはり、自転車の上での語らいで、妻はいう。「あたしとうまくいかないのなら、彼女とだってうまくいくはずないのよ。結局あなたは自分のことしか考えない人なんだから」「あなたはオトナになるまで再婚なんかしちゃ駄目」。

 どのくらい駄目だろうと尋ねたら、「懲役18年よ」。これは、いつか一緒に観た安藤昇のやくざ映画の題名だったのだと。しかし、妻とも彼女とも別れた著者は、案に相違して懲役は20年の長きに及んでいると、ユーモラスに嘆いてみせる。          

 著者の生活がうらやましくもある一方、結婚生活もそんなに窮屈なものでもないのにと思う。「女性は怖い」とか「ひとりで生きるのはさびしい。しかし誰かと長くいっしょにいるのは苦しい」とか言っている関川さんに、結婚生活のよさを味わってほしい気持ちにもなる。

 あなたの周囲は高尚な話の好きな女性ばかりだから、結婚となると慎重になりすぎるのであって、高尚でなくとも、たわいない話しをする中で、妻は親友にも心友にもなり得るものであることを、言ってあげたい気もする。

 本書はまた、これまでの著作と同様、漱石、一葉、向田邦子、山田太一など多くの作家や作品を俎上にのせて論じており、文芸批評や時評としても楽しませてくれる。

「この本は『さびしい本』ではない。しかし、『たのしい本』というわけにもいかなかった。不幸でもなく幸せでもなく、同時につまらなくもない中年的シングル生活の実状を、自信と痩せがまん半々にしるそうとした。」と、最後に著者は率直に記している。
中年シングル生活
『中年シングル生活』
関川夏央 著
講談社文庫
発行 2001年8月 本体価格 514円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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