若田泰の本棚
次のページへ進む
前のページへ戻る
『これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史』
中塚明 著
 どこかから借りてきたような表題は、ノウハウ本と間違えられそうだが、なかなかどうして、内容は、著者の長年の研究をわかりやすくまとめた好著である。教えられることがたくさんある。

 著者は日本近代史の研究家。先の中国やアジア諸国への侵略戦争を、1931年(昭和6)の柳条湖事件をその始まりと見て十五年戦争と呼称することが一般化している中で、著者は、日本の侵略戦争は、明治政府の朝鮮政策から日清戦争にはじまる一連のものとしてとらえる必要性を力説してきている。

 近くて遠い国といわれる韓国・朝鮮、古代から仏教の伝来をはじめとして関係深かった国であるため、ひととおりのことは知っているように思っているが、実は何も知ってはいない。たとえば、朝鮮の国土の面積、人口は? 日本の植民地であった期間は? 在日朝鮮人の数は? これらの質問にどれだけの人が正確に答えられるだろうか(答はさいごに)。

 日本が韓国を併合したのが1910年(明治43)、日本が長年苦しんできた江戸時代からの負の遺産である不平等条約から解放されたのが翌1911年(明治44)、これだけをみても、日本は朝鮮の犠牲の上で強国の仲間入りをはたしてきたことがわかる。

「征韓論」は幕末の頃からあった。進歩派とみられている吉田松陰、副島種臣、西郷隆盛などもみんな征韓論者だった。西郷の「征韓論」に反対した大久保利通も、1875年(明治8)江華島事件をおこして、朝鮮に不平等条約である「日朝修好条規」を押し付けた。一足早く文明開化を迎えた日本は、ペルーの黒船よりもより強圧的に、江華島に侵入して朝鮮砲台を武力占領した。「征韓」に慎重だった者でさえも、まず国内の政治が先だという程度の考えでしかなかったのだ。

 1894年(明治27)、「清国の野望から朝鮮の独立を守るため」として日清戦争をおこした。「清韓宗属関係」を開戦の理由にしたが、朝鮮が清の属国でないことを、日本側はもちろん知っていた。ただ正当らしい理由にこじつけたのであった。7月23日早朝、日本軍は朝鮮王宮を占領し、国王を軟禁した。これが日清戦争の始まりだったのである。日清戦争の間、朝鮮では農民軍があちこちで蜂起していた(東学農民革命)。この抗日運動に対して、日本軍は朝鮮政府軍を前面に立たせて鎮圧、3万から5万人の農民が殺された。日本は、清国とだけ戦っていたのではなかった。

 1910年(明治43年)の「韓国併合」も、「自虐史観」に対抗して古臭い歴史教科書をつくっている「会」のいうように、両者の合意などというものではもちろんなかった。韓国統監伊藤博文は、民族の怒りの声を代表した安重根に撃たれたのだ。

 歴史はさらに展開していくが、中身の紹介はこのくらいにして、あとは本書に目を通していただこう。1919年(大正8)三・一独立運動の弾圧、その後「皇民化」政策を強行して固有の文化をも奪っていった。日本の敗戦後は、また冷戦下の南北分断という新たな困難が待ちうけていた。

 以上のようなことは、韓国・朝鮮の人々にとっては、教科書で習って知っている常識であるのだろう。加害者であった私たちだけが知らない。事実を知らないでは隣国の人を理解できないだろうし、あらたな問題を引き起こすことにもなりうる。本書には、日本国民としてやはり「これだけは知っておきたい」ことが書かれているのである。

(答:面積は22万平方キロメートル、人口約7000万人で、いずれも日本のほぼ60%。日本の植民地下にあったのは、1910〜1945年の35年間。在日韓国・朝鮮人はおよそ60万ないし70万人。)
これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史
『これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史』
中塚明 著
高文研
本体価格 1300円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
ご意見、ご感想をお寄せ下さい。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。