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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
米原万里著
 これは鮮烈な印象を残す作品だ。東欧の学校で出会ったさまざまな友人やその家族たちについての、多感な少女の鮮明な記憶が眩いばかりだ。異国に暮らす特別な境遇の少女たちではあるが、その年齢に相応した話題への関心や友情が、生き生きと描かれている。

 そして、将来にむけての希望と可能性を無限に持っているようにみえたし、憧れの的でもあった友人達が30年後どうなっていたか、著者は読者を道連れに旅をする。その謎解き風の語りのたくみさも秀逸である。

 著者は現職のロシア語会議通訳、父親は、日本共産党衆議院議員も務めた米原昶(いたる)。その父親がチェコ・プラハにある各国共産党の交流組織『平和と社会主義の諸問題』誌編集局に勤務した期間、9歳から14歳のまでの5年間(1960〜1964年)、プラハのソビエト学校で学んだ。そこには50カ国以上から集まる共産党員の子弟が集い学んでいた。

 本書は、そのときの3人の友人とのみずみずしい関わりの記憶と、東欧の激動によって音信不通となっていた友人たちとの30年後の再会について、3つに章分けして記したものである。

 ギリシャ人リッツァの父は軍事政権により祖国を追われてチェコに亡命してきた共産主義者、ヤースナの父はユーゴスラビア連邦の在チェコスロバキア公使で、ドイツと傀儡ファシスト組織ウスタシュに抗して闘ってきたパルチザンの経歴を持つ。もう一人が、ルーマニア出身のアーニャであった。

 子供心には「何か変」という印象は持てても、その理由は分からない。ルーマニア労働党幹部の子女アーニャは、運転手さんやお手伝いさんにも「同志」という尊称をつけて呼び、誰もがいっぱしの愛国者だった学校でも目立って、「人民のために」とか「国を愛してやまない」などと臆面もなく言っていた少し変わった子。

 家族は官舎には住まないで、離れた大邸宅に、お手伝いさんも付けて住んでいた。父親は非合法時代の拷問で足を悪くしたらしくて義足だが、母親は派手好みでとても共産党員にはみえない。そのアーニャは誠実面をしてよく嘘をついた。それでも著者とアーニャは大の仲良しだった。

 その後、あれほど愛国者であることを語っていたアーニャはイギリス人と結婚したと聞く。チャウシェスク大統領は外国人との結婚を禁じていたはずなのに・・。30年後の再会の場面で、数々の不思議がはじめて明らかになる。

 謎解きの筋運び、少女達のみずみずしさのすばらしい表現力も格別だが、なんといっても本書の最大の魅力は、社会主義国幹部の家族から見通せる社会主義国の矛盾と、国際共産主義運動の弱点をあぶりだしたことだろう。

 チトー大統領のユーゴ独自路線、1956年ハンガリー事件、1968年の「プラハの春」にワルシャワ条約機構軍が戦車で弾圧を加えたこと、また、中ソの対立、部分核停条約にからむ日ソ共産党の不仲もあった。そうした国際共産主義運動の矛盾が子供心にも影響を与えていたし、各国共産党幹部の生活を身近に知ると、幹部にのみ許された特権、国民よりも身内を大切にするエゴイズム、理想とは程遠い勝ち馬に乗る処世術、自己保身、金銭欲、名誉欲、出世欲、権威主義がみてとれた。かれらもそれぞれ理想に燃えた時期があり、闘いの試練を経てきた者たちだったのだが・・。

 社会主義政権崩壊後も東欧のあちこちで民族の紛争が続いている。その悲劇に心を痛め、ここ数十年の世界の共産主義運動を眺めつつ思う。アーニャの嘘は、「社会主義」という名の裏に隠された矛盾を、そしてやがてソ連・東欧の崩壊によって明らかになる「真実」を表現していたのだと。
嘘つきアーニャの真っ赤な真実
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
米原万里著
角川書店
本体価格 1400円
発行 2001年6月



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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