若田泰の本棚
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『國語元年』
井上ひさし著
 いま、日本語に関する本がよく売れているという。「不況時に日本語ブームが起こる」といわれることの真偽はともかく、母国語について、よく知っておきたいとはだれだって思うものだろう。

 本書もその類の本。しかし、これは戯曲で、最初はテレビドラマとして1985年に放映されたものだ。それがはじめて文庫本になった。舞台では現在も、「こまつ座」によって上演が続けられている。

 戯曲で「日本語」について論じるとは、また途方もない着想、井上ひさしならではのものであろう。そういえば昨年、永井愛の戯曲「ら抜きの殺意」(光文社文庫 2000.6)を読み、その着想の奇抜さと作者の才に感嘆した覚えがあるが、言葉をめぐる喜劇の大先輩はすでにここに存在していたのだ。

 明治7年(1874)、明治維新後、大慌てで近代国家としての体裁は整いつつある日本だったが、藩ごとに異なる訛りの違いの大きさは、相互の意思疎通の妨げとなっていた。そんな時、新政府による「全国の話し言葉を統一せよ!」との命が、文部省官吏南郷清之輔に下されたのである。あまり能力に長けた男ではなかったが、ついに自分の力を試す機会が訪れたと喜び、誠心誠意、全力投球でこの大事業に取り組んだのであった。

 入り婿である清之輔は長州出身だが、妻と舅は薩摩出身、他に多くの使用人や得体の知れぬ居候がいる南郷家は、江戸山の手、下町言葉、津軽弁、山形弁、遠野弁、会津弁、名古屋弁、京都言葉とまさに方言のるつぼ。その中で試行錯誤、苦心惨憺、ついに清之輔は「文明開化語」の開発に成功した(と思った)。その案を持って、勢い込んで文部省に登庁した彼であったが・・。

 南郷家の人々の間でかわされるさまざまの方言、そこに生まれる誤解がユーモラスで、登場人物がみんな生き生きと躍動している。また、おらが方言を統一語にとりたててもらおうと主人に取り入ったり取り引きをしようとする人たちの滑稽さや、清之輔自身も、書き言葉の通りに話すことにすればよいという「名案」を思いついてみたり、活用を止めてしまって基本形に接尾語をつけることで言いきり形や疑問形・否定形を表現しようとしてみたり、最後には政府要人の出身藩の比率でその地の方言を取り入れようと試みたり、それはもう涙ぐましい努力を傾けるくだりが描かれている。しかし、真剣に苦悩しつつ熟慮を重ねるわりには、はかばかしい結果は生まれてこない。

 南郷家を襲ったこの大事件は、どこまでが史実なのかは不明だが、当時としてはいかにもありそうなことである。こうした黎明期を経て、現在の日本語が整理されてきたのだと理解できる。作者の伝えたいのは、言葉は国や行政が強制するものではなく自然にまかせておくのがよい。言葉を作るのは一部の特殊な人ではなく多くの庶民なのだということだ。

 かくして、現在の日本語が今の形で存在している。これでよかったのか、という問いもむなしく、わたしたちは今の状況下に甘んじるしか仕方がない。しかし、われらが母国語、大切にしたいという思いだけは持ち続けたいものである。
國語元年
『國語元年』
井上ひさし著
中公文庫
本体価格 648円
発行 2002年4月



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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