元と悠紀子の老々介護
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☆07/15更新☆

第8回 食道ガンの疑い

 2016年年末に人間ドックを受けた。胃カメラの検査を受けている時、喉に入っているカメラの付近から冷たい液が注入されるのが分かった。「ああ、ガンの疑いがあるなあ」と思った。検査が終った時、医師から「細胞を取り組織検査に回しておきます」と言われた。

 今日、日本人が病でなくなる三大病はガン、脳梗塞、心臓病である。私は予てから「病気で死ぬならガンで死にたい」との思いをもっていた。心臓病は現象的には「ある日、突然に亡くなる」ということになる。それでは悠紀子を老人ホームに入れるなどの措置が取れない。

 脳梗塞は、今では、よほどのことが無い限り、救急車などで運ばれ、大概の場合一度目は助かる。しかし脳機能障害を含めて後遺症が残る危険性も高い、一級の高度脳機能障害者の妻とともに、私までが脳機能障害者になることは避けたい。

 ガンであれば脳のガンでない限り死ぬ直前までは、色々判断するとこができる。従って悠紀子のためのあれこれの手立てをとってから亡くなることもできる。そのため私は「病気で死ぬ場合はガンで死にたい」と考えて来た。

 実は10年前の2006年の人間ドックの時も、今回の医師が担当であった。その時「食道ガンの初期の疑いがあるので細胞の組織検査の必要があります」と言われ、日を改め組織検査を行った。

 結果は「前がん症状です」と言う話であったので、色々質問をした。「まだガンとは言えませんが、置いておくとガンになる可能性もあります」と言う説明であつた。丁度「5月連休」の前だったので「入院して手術し、疑わしいところを取ってください」と言って入院し、内視鏡手術で取り除いてもらった。それ以来10年、人間ドックの時は、その医師による検査を受けてきて問題は無かった。

 3年ほど前の人間ドックの時、悠紀子の胃カメラ検査の際、外で待っていると知り合いの看護師さんが「ご主人も大変だったのですね」と声を掛けられた。私が「えっ」という不思議な顔つきをしたので、その方は「しまった」という顔をされた。私が「いいのです。知っておられることを、そのまま言ってもらっていいですから」と言うと「ご主人も食道の初期ガンで手術をされてと知っていましたので」と言われた。「ああそうです。たいしたことはありませんでしたし、それから10年程たっていますから、それ自体は問題はありません」と答えた。

 今回の、人間ドックの結果が3月になってから送られてきた。胃カメラ担当の医師に予約を取って診察を受けた。検査結果は意外なことに「ガンではありませんでした」と言うことであった。私はついでに先ほどの話をしたところ、「昔は患者の受け止めもあり、前ガン症状という言葉も使いましたが、今は、初期ガンという言葉を使う事にしています」と言うことであった。

 私は自分が置かれている状況を正確に知ることによって、今後の生き方・暮らし方を決められるので医師にはきちんと正確に話してもらうことにしている。

 ところで胃カメラで初期食道ガンが疑われた時、私は「これでしばらく妻から離れて入院できる」と「ホット」した気分であった。そのころ妻の幻覚・被害妄想がひどく毎晩夜中に起こされ睡眠不足などでしんどい時期であった。しかし妻はショートティそれどころか昼間のヘルパー派遣さえ嫌がっていたので、妻をどこかに預けるなどはできなかった。それで私が入院できるかもしれないということで「ホット」する受け止めになったのである。

 私は妻に、「元さん、食道ガンかもしれない。そうだとしても初期だから大したことはないと思う」と説明した。

 すると次のような言葉が返って来た。「その場合、私は留守番しているのね。私もガンは2回やっているけれど、ガンは切って治るか、死ぬかのどちらかではっきりしているからましや。だけど私みたいにヘルペス脳炎と言うわけのわからない病気なって、脳がやられたらどうしようもない。死ぬまで治らず、元さんを含めて人の世話になって生きて行かなければならないのはつらい」

 筆者紹介
鈴木元
1944年8月8日生まれ。現在、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版取締役。国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事。著書に『大学の国際協力』(文理閣)『京都市の同和行政を批判する』(部落問題研究所)『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)『立命館の再生を願って 正・続』(風社涛)等多数。
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